- 発行日 :
- 自治体名 : 宮城県七ヶ浜町
- 広報紙名 : 広報しちがはま 令和7年8月号
アマチュアバンド サックス奏者
丹野 正德(たんの まさのり)さん(松)
父が音楽好きで、仲間とマンドリンクラブを結成していましたので、練習する父の音楽を小さい時から毎日のように聞いていました。そうした環境からか、私も小学6年生から塩竈市の海洋少年団のブラスバンドに入り、高校ではブラスバンド部でトランペットを吹いていました。
若い頃は、日立製作所に勤めながら音楽を続けていましたが、セールスマンが向いていなかったんですね。20代30代は自分に合う仕事を探して職を転々とし、波乱万丈の日々を送りました。バンドマンになったのは36歳くらいの時だったかな。きっかけは、取引先のお客さんに仙台のキャバレー「タイガー」のバンドマスターがいて、「今、サックス奏者を探しているんだ。サックスをすぐには演奏できないにしても、音符が読めるんだったら、すぐ来てくれ!」との誘いがあり、すぐさまOKしました。
必死に練習して、クラブやキャバレーの舞台に立ち、遠刈田温泉の蔵王郷プラザでは、宝塚を小さくしたようなミュージカルのバックバンドも務めました。
その後、独立して私が若いメンバーに声をかけて初めてバンドを組んだ時、ボーカルとして参加してくれたのが稲垣潤一さんでした。
当時のキャバレーでは、歌謡曲が主体でしたが、あの頃はビートルズが流行った頃でしたからね。私たちは若く、こだわりもあって、歌謡曲をあえて演奏しなかったため、1年ほどで解散となりました。いや、よく1年も持ったなぁ(笑)。
その後、稲垣さんは仙台でスカウトされ、私たちの間で「稲垣、東京に行ぐんだどや」という話でもちきりになりました。デビュー曲を初めて聴いた時、彼らしいなと思いましたね。
◆ナチュラルに生きていきたいな
バンドマンを55歳で辞めて、今年で81歳になります。七ヶ浜では、かつて、SMS(七ヶ浜ミュージックソサエティ、後にライトウェーブオーケストラに改名)のコンサートマスターをしていました。
現在は、少人数のアドリブ主体のコンボバンド、BAND21(バンドトゥエンティーワン)として汐見台の夏祭りやSeven jams(セブンジャムス)としてビーチシネマなどで演奏(表紙)しています。他にビッグベアーの一員として毎年ジャズフェスにも出ています。
震災後、支援に来られた音大生に、ピアノの楽譜なのにどうしてサックスが吹けるの?とびっくりされた時がありました。頭の中の勘ピューターといいますか、どんな楽譜でも自在に吹けるようになったこともキャバレー時代の経験からです。
震災では、津波が自宅を突き抜けていきました。家を壊す時に偶然、愛用のサックスが見つかり、ラッキーだったとしか言いようがないですね。このサックスがあるおかげで震災でも滅入ることなく、続けてこられたと思います。音楽の力ですね。
昔のようなパワーは出ないとしても、年を取ったなりの聴かせ方があります。歌も楽器もある程度、色気がないとつまんないですよね。
楽しく過ごすためにはやはり健康ですね。これからもナチュラルに生きていきたいな。
◎愛用のセルマーのサックスとともに。多趣味で写真も釣りも好き、釣竿は自分で作りますと話す丹野さん
※詳しくは広報紙P.6をご覧ください。