- 発行日 :
- 自治体名 : 山形県金山町
- 広報紙名 : 広報かねやま No.750 2025年6月号
林 寛治(かんじ)
■金山町交流「サロン・ぽすと」(旧金山郵便局舎・再構築)
旧金山郵便局は昭和7(1932)年頃、町制施行後の8年後頃に竣工したドイツ下見張りのハイカラ擬洋風建築でした。昭和53(1978)年まで46年間郵便局として活用され、その後の23年間は物置として使用されていました。1階郵便事務室、2階電話交換室8帖、会議室8帖、電話交換手室8帖、宿直室6帖、休憩室3帖という間取りで、それぞれ床の間付きで時代を表していました。郵便局長を初代から担った岸家(キシヤ)さんから町が敷地共に購入して旧局舎の再生方法を多々探られていましたが、21世紀を迎える頃、「女性によるまちづくり工房」を中核とし、街並みを生かしつつ、女性と子どもたちが集まる施設として利用することとなりました。
奈良・京都・鎌倉の寺院や古民家に見られる如く、木造建築物でも使用され続ければ、修理・差し替えなどで長期間活用できます。金山郵便局舎は街並み風景の重要な拠点ですから、当然、歴史遺産として残すことを考えました。しかし長期間活用されていなかったことで朽廃が進み過ぎており、細かい補修工事ではかえって工事費がかかり過ぎることもあって、外観を維持し構造・工法を変えないで再構築することになりました。
旧郵便局舎の最後のイベントとして、片山和俊教授の声掛かりで、先年退官された宮田前文化庁長官が東京藝大教授在任中に、金工・陶芸・染色の工芸科大学院生による作品制作および展示会場の一部になりました。宮田教授の企画は、町なかの公園には染織作品と大型立体作品を金山のまちづくり風景を背景に展示し、蔵史館ホールや旧郵便局1階には金工・陶芸作品展示と各制作過程を実演しつつ指導も行うという貴重でユニークなものでした。大型作品の一部は持ち帰っても置き場が無く、困ったということで、金山町が往復運搬費+α程度の格安で買い取ったという話を聞きました。また、イベントの最後を飾る金山中学校大ホールで演じられた創作歌劇は、金工科の学生による創作楽器を音楽学部邦楽科の大学院生が演奏するというもので、大喝采を博して幕を閉じました。
さて、平成14(2002)年に再構築工事が完了した旧金山郵便局舎は「金山町街並み交流サロン・ぽすと」として再スタートしました。1階奥は子どものための絵本・読書サロンです。それまで訪町者に知られていなかった裏庭の自然を楽しむためと、遊び盛りの子たちに同じ目線で庭景色を感じ取るようにイメージしました。
2階奥は以前は郵便と電信電話の書式・資料を収める窓のない低い屋根裏倉庫でしたが、岸家(キシヤ)本宅の座敷から眺める美しい枝垂れ桜が共に鑑賞できると睨んで、総2階建てとして屋内からの奥行きのある素晴らしい眺望を得ることができました。
設計図面上では、2階を{休憩サロン-まちづくり工房1]と{まちづくり工房2]としておりますが、町民活動の中でも婦人活動や趣味の各グループが気兼ねなく同時かつ自由に利用できるように、個室で仕切ることはせず、グループ別に使用できる可動の収納ボックスを提案しました。入口と一体となった両脇の袖階段は上下階をつなぐ小さなホールです。子どもサロンと空間的に連続することで、お喋り、作業、ゲーム、書きものなど多様な活用や、あるいはパリのオペラ座の大階段のような出会いの場となることを期待したものです。訪町する人々も気軽に立ち寄り、弁当などを拡げる場面があれば、金山町への親近感が一層増すのではないかと考えます。
「きつねのボタン」グループが2階の工房2を専用状態で活用されていますが、本を大量に収めた書架は非常に重いものです。構造上も平面計画上も図書室としては1階が適切でしょう。
町当局の活用方針は承知していない前提での私見として、「広報かねやま」4月号の「私と金山(27)」で前荘内銀行金山支店2階もマルコの広場を見下ろす良い位置であると記しました。
ぽすと1階と荘内金山支店2階1部の二か所を使い分ければ、「きつねのボタン」の活動幅が広がると思います。サロンぽすと2階の「まちづくり工房1+2」がすっきり解放されて、女子とは限らず、世代間交流や複数のグループ活動が盛んになれば、まちづくり活性化につながって行くものと考えます。