文化 定信紀行 第二話江戸築地浴恩園(つきじよくおんえん)のこと

寄稿 市文化財保護審議会委員 佐川 庄司(さがわ しょうじ)
数え30歳で老中首座、翌年に将軍補佐役に就任した松平定信(まつだいらさだのぶ)は「寛政の改革」を断行し、農村の復興、財政再建、福祉・教育・対外政策などにおいて一定の成果を上げたが、わずか6年でその職を辞している。辞任の背景には将軍家斉(いえなり)との確執など、さまざまな説がある。しかし、定信の改革路線は基本的にその後も継承・維持された。
江戸における定信の本拠は八丁堀(はっちょうぼり)にあった白河藩上屋敷であったが、老中辞任後に本拠としたのは、築地の下屋敷である「浴恩園」であった。定信は老中退任の1年前に一橋(ひとつばし)家からその地を拝領していた。江戸湾を望む地で、旧東京中央卸売市場(旧築地市場)敷地がその跡地に相当する。
海水を引き入れた2つの池を有する、敷地約1万7千坪の池泉回遊式庭園を定信自らプロデュースし、白河藩の下屋敷とした。定信の居館である「千秋館(せんしゅうかん)」前に広がる桜に囲まれた「春風の池」、江戸湾寄りの「秋風の池」周囲には紅葉が植栽されていた。菊・蓮(はす)・梅・桃などさまざまな植物園もあった。2つの池の周りには和歌と漢詩が詠み込まれた51の名所も設けられていた。
定信は月に1、2度白河藩家中の人達などを招き、園内散策ツアーを催していたとされる。

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