くらし 市長の手控え帖

■「飾らない女優さん」
倍賞千恵子(ばいしょうちえこ)が映画の功績を認められ芸術院会員に選ばれた。『男はつらいよ』は渥美清(あつみきよし)の天才的演技に負うところ大だが、兄を支える〝さくら〞の存在なくして国民的映画にはならなかった。民子(たみこ)三部作も印象に残る。悲しみや不条理に耐え、額に汗して家族を支える主婦の役。
『家族』長崎の炭鉱から北海道への移住を決める。高度経済成長の真っ只中(ただなか)。大阪は万博で賑(にぎ)わうが、目をくれる余裕もない。東京で長女を亡くす。夫を励まし、老父と子供を抱え酪農に夢をはせる。『故郷』瀬戸内の小島で貧しくも穏やかに暮らす一家。砕石の運搬で生活していたが、船を修理する金がない。やむなく尾道(おのみち)の造船所に勤める。涙をこらえ島を離れていく。経済の大波は故郷を奪い、つつましい生活を押し流していく。
『遙(はる)かなる山の呼び声』夫を亡くし、子供を育てながら酪農を営む。ある日、中年の男がふらっと現れる。黙々と働く。息子はすぐに懐(なつ)き、民子も次第に好意を寄せる。ある晩人を殺したことを告げる。パトカーが迫る。網走(あばしり)に送られる列車の中、出所を待つと黄色いハンカチを渡す。
『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』は秀逸。山田監督はアメリカの曲『幸せの黄色いリボン』から着想を得た。刑期を終えた男が帰郷。妻に〝まだ待っていてくれるなら樫(かし)の木に黄色いリボンを結んでおいてくれ〞と手紙を書く。出所した男と若い男女の恋をからめたロードムービーになる!待つ女は倍賞と決めている。
物語はシンプル。だからこそ、出所した男を演ずる俳優が大事。ある時、天の啓示のように高倉健(たかくらけん)が降りてきた。任侠(にんきょう)ものは好まないが、高倉のだけは見ていた。心を映す眼に魅了された。神に命ぜられて俳優になったような高倉。庶民の哀歓を演じたら天下一品の倍賞。さて、両名優の持ち味をどう引き出そうか。
狂言回しの若い男女。失恋の痛手から北海道へ向かう欽也(きんや)に武田鉄矢(たけだてつや)。どう生きたらいいか悩み、北を旅する朱美(あけみ)に桃井(ももい)かおり。自然な笑いを誘う。赤いファミリアの欽也。網走で朱美を誘う。同じ頃、出所した島勇作(しまゆうさく)は食堂に入る。
「ビール!」メニューをにらみ「ラーメンとかつ丼」。コップのビールをじっと見つめ、やがてわしづかみにして一気に飲み干す。身体の震えを必死にこらえ、目から涙がこぼれ落ちる。迫真の演技!郵便局で、元妻の光枝(みつえ)に葉書を書く。「俺を待っていてくれるなら、鯉こいのぼりの竿(さお)に黄色いハンカチを下げておいてくれ」
網走の海岸で勇作に会う。3人の旅が始まる。赤い車は夕暮れの阿寒湖(あかんこ)を抜け町中の小さな旅館に。空きがなく2人は相部屋に。ドタバタ!…青春の滑稽さがよく出ている。勇作が欽也を叱る「おなごは咲いた花のごとく脆(もろ)く毀(こわ)れやすいもんじゃ。男は守ってやらないけん」。
行き先も告げずおし黙っている男。訳ありだ!やがて重い口を開く。折々に回想シーンが入る。筑豊(ちくほう)の閉山で夕張(ゆうばり)に来た。スーパーのレジで働く光枝に出会う。粗野で不器用だが真心は伝わる。結婚。勇作は庭先に高い物干し台を作る。子供が流産。痛飲しチンピラと喧嘩(けんか)になり殺してしまう。6年の刑。面会所で離婚届を渡す。帰りを待つと泣く光枝。
夕張へ行こうよ!イキイキする2人。見慣れた山々が近づく。耐えきれず「引き返そう。行っても無駄だ」。欽也は「ここまで来て女々しいこと言うなよ」。銭湯の前。朱美があたりを見回す。目の先に、旗竿にびっちり連なる黄色いハンカチ!歩き出す勇作。洗濯物を抱えた光枝。何言か話しかける勇作。泣き崩れる光枝。人間の愛と信頼の物語になっている。
ひたむきな倍賞千恵子と人生の旋律を鮮やかに奏でられるのは、渥美清か高倉健だろう。決して華やかさはないが、確かな演技で日本映画の品質を保っている。私は『下町の太陽』からのファンです。