- 発行日 :
- 自治体名 : 福島県相馬市
- 広報紙名 : 広報そうま (令和8年2月1日号)
■相馬市史全巻刊行記念 市史と振り返る相馬の歴史
「相馬市史」は、相馬市の市制施行50周年を記念して、平成16年(2004年)から編さん事業がスタートし、令和6年(2024年)に全ての刊行が終了しました。
市史の編さんでは、相馬市の長い歴史や文化、豊かな自然、特徴的な民俗などを後世に伝えるとともに、市民の文化振興に寄与することを目指しました。通史編・資料編・特別編の3つの柱で構成されていて、歴史だけでなく、自然、民俗など、多岐にわたる分野を専門の先生が執筆しています。特に「相馬市史第9巻特別編2民俗」は、第41回福島民報出版文化賞の「正賞」を受賞するなど、学術的にも高く評価されています。
相馬市史とともに相馬の歴史を振り返ることで、現在を理解し、未来を歩むためのヒントについて考えていきませんか?
■相馬市の歴史を振り返りましょう
◆原始・古代
○旧石器時代(3万~1万2,000年前)
相馬に人類が住むようになったのは、旧石器時代からと考えられています。相馬ではまだ調査例が少なく、詳しいことは分かっていません。
○縄文時代(1万2,000年前~2,300年前)
縄文時代になると、気候が温暖になり、海水面が上昇しました。現在の海岸線よりも海が内陸に入り込んでいたと考えられています。
○弥生時代(2,300年前~1,700年前)
弥生時代の遺跡は、相馬では発見例が少なく、詳しいことは分かっていません。
○古墳時代(3~7世紀)
全国で古墳が築造されるようになり、相馬地方でも古墳が作られます。中でも丸塚古墳(成田)は相馬地方を支配した有力な豪族の墓とみられ、さまざまな埴輪や祭礼具など、多くの副葬品が出土しています。
・丸塚古墳出土埴輪
2本の角のような帽子をかぶった男性像で、武人と見られます。
○奈良・平安時代(8~12世紀)
仏教が全国に伝来した時期です。黒木田遺跡(中野)は、7世紀中ごろから9世紀中ごろにかけての遺跡で、大量の瓦が発見されています。そのため、瓦葺きの寺院跡であると考えられており、寺院跡としては県内で最も古いものの1つです。
〔黒木田遺跡の瓦〕
・軒丸瓦
屋根の先端に使う装飾のついた瓦です。
・平瓦
緩やかにカーブした板状の瓦で、屋根面に敷き詰められていました。
◆中世
○鎌倉時代~戦国時代
武士の時代となり、さまざまな勢力が相馬の支配を巡って覇権を争いました。全国の武士が北朝・南朝に分かれて争った南北朝時代には、相馬では北朝方の相馬氏と南朝方の中村氏・黒木氏らが争いました。
戦国時代になると、激しい戦いの末に相馬氏がこの地方の支配を確立しました。
◆近世
相馬中村藩として、現在の相馬市域が城下町として開発され発展しました。初代藩主相馬利胤は、小高城から中村城に拠点を移し、城下町を整備しました。相馬氏は江戸時代を通してこの地を治めたため、相馬野馬追や神楽など、相馬地方に特徴的な民俗芸能や文化が現在でも多く残っています。江戸時代後期には全国的な飢ききん饉が発生し、相馬中村藩も窮地に陥りましたが、二宮尊徳の「報徳仕法」を取り入れ、藩財政を立て直しました。
幕末の戊辰戦争では、中村藩も奥羽越列藩同盟に加わり新政府軍と戦いましたが、後に降伏し、藩領の領有権を認められました。
・中村城
中村城は元は中村氏の居城で、戦国時代に築造され、相馬氏によって江戸時代に改修されています。現在も土塁や空堀など中世以来の特徴が良く残っています。
・利胤朝臣御年譜(としたねあそんごねんぷ)
御年譜とは、特定の人物や時代の年譜を記録するための資料のことです。「利胤朝臣御年譜」には、中村藩初代藩主の相馬利胤の治世の出来事が記載されています。主な大きな出来事として、中村城の大改修、関ヶ原の戦いにおいて西軍に与(くみ)したとみられたことによる領地没収の危機、慶長奥州地震津波による被害が挙げられます。
◆近代・現代
○明治時代以降
明治政府により廃藩置県が断行され、中村藩は「中村県」となりました。これにより中世以来続いた相馬氏の支配は終了しました。中村県はすぐに「平県」と合併され、明治9年には現在の福島県に編入されます。明治22年に町村制が施行され、中村を中心に中村町(現在の相馬市の前身)が誕生しました。
昭和29年には市制が施行され、中村町と周辺の7つの村(大野・飯豊・八幡・山上・玉野・日立木・磯部)が合併し、現在の相馬市が形成されました。
