その他 美しい大玉村

花・野菜・植物たち(9)
箱﨑美義 著

■(8)のつづき
本名のおみなえしの「オミナ」は、女で、この花のやさしさを見立てたもので、「エシ」、「メシ」は、この花が細かく粟の飯に似ていることからつけられた。別な呼び名は、700年代以後の万葉人が詠んだ名で漢名でもある。このおみなえしは、古くから日本文学界に名高く、万葉歌人、山上憶良氏が秋の七草の一つとしてきた。また大切な盆花として仏前に献花してきた。

■日本全土の山野に生え育つ名花、名歌
1700年代、江戸中期の俳人、文人、画家の蕪村(与謝)氏は、女郎花(おみなえし)そも茎ながら花ながら、と詠んでいる。茎も花の一部と思えるほどあえか(かよわく)で、美しいと思えるのだが、1566年代、芭蕉に入門し俳諧、絵画などで名を上げた許六(きょりく)氏が、鎌倉、室町時代以後に尼の姿で売色した私娼(ししょう)、好色一代女の、あの比丘尼(びくに)を思わせる。そこまでは、いい。なぜ、そうなのかである。花にしては、ちと請取りがたし。つまり花らしくない。髪をそり、女と縁を切った様で春を売る比丘尼と同類だと許六氏は、言う。比丘尼との、いろごとは、女の最大の魅力の髪がない分べとつかない。といって男色ほど、ぎこちなくもない。まあ、男と女の中間のようなものだといい…女郎花から比丘尼に話がとぶあたりが、いかにも許六氏らしい。多分、同種の白花咲く男郎花(おとこえし)も頭の隅にあったのだろう。日本の伝統、演劇の一つ、謡曲(能楽)の「女郎花」は、許六氏よりも素直で、男の変心を恨(うら)み、川に身を投げる女の話。だから男を見ると、すねて身をくねらす。1706年代、江戸後期の俳人、小林一茶氏は、何事のかぶりぞ、をみなえし、と詠んでいる。風景を書きあらわすすべを許す女心か。一茶氏特有のひねりがきいている句だ。お茶の先生からは「茶花は禁花」。1500年代後期、安土桃山時代の茶人、日本の茶道の大成者である千利休氏は好でなかった野生の、おみなえしは醤油の腐ったようなにおいがするからだが、最近では、使われてきている。近年では、育種され栽培された、おみなえし花が多くみられきている。

■とうがらし
雨はれし畑の隅の唐辛子くれなゐふかく秋づきにけり 結城 哀草果
きざまれても果まで赤し唐がらし 許 六
吊るされより赤さ増す唐辛子 森田 峠

◇とうがらしの生い立ち
とうがらしの歴史は、実に古い。