- 発行日 :
- 自治体名 : 茨城県古河市
- 広報紙名 : 広報古河 2025年4月号No.235
■発掘調査の成果から見た貨幣の歴史
○はじめに
土地改良事業に先駆けて、平成30年度から令和6年度までを1次から7次に分け、山田地区で東の門西の門城跡の発掘調査を行いました。
今回は、調査で出土した遺物(昔の生活に使用された物)のうち、市内で発見された最古の貨幣を含む銭貨について取り上げ、お金の歴史と併せて皆さんに紹介したいと思います。
○市内で最古のお金
日本で初めて、広く流通する貨幣が発行されたのは、今から1300年ほど前と考えられています。当時の中国王朝である、唐に倣った国家づくりを目指してさまざまな制度を導入しており、その一環として、銅で作られた貨幣が発行されました。和同開珎と名付けられたこの貨幣は、708年に作られた日本最古の貨幣と言われています。その後、約250年にわたり、12種類の貨幣が発行されました。これらは、朝廷が発行した貨幣という意味で皇朝十二銭と呼ばれています。当時の政府がさまざまな流通促進策を行ったため、都の周辺などでは流通するようになりましたが、地方では米や布などが貨幣の代わりとして使われ、貨幣はあまり流通しませんでした。そのため県内では、当時の遺跡から発見されることが少なく、約20遺跡で25枚ほどが見つかっているだけです。
山田地区の発掘調査では、3次調査時に「富寿神宝(ふじゅしんぽう)」が2枚、7次調査時に「隆平永宝(りゅうへいえいほう)」が1枚発見されています。いずれも平安時代初めに発行されたもので、市内では初めての出土でした。また、県内では同じ遺跡内から複数発見されることは少なく、今回の出土は大変貴重と言えます。
○輸入されたお金
その後、貨幣の流通は一度途切れるものの、12世紀半ば、中国で発行された銅銭の輸入を機に再び流通が始まります。国内では16世紀まで全国に流通する貨幣は発行されなかったため、さまざまな国で発行された数多くの種類が輸入され、使用されていました。500年ほど前の城跡である東の門西の門城跡においても、当時使われていた銅銭が数多く見つかっており、広く使われていたことがうかがえます。
特に4次調査時には、1カ所からまとまって45枚の銅銭が見つかり、中央の穴には紐でまとめられた痕跡が確認されています。この時に出土した銅銭を見ていくと、最も古いもので、和同開珎のモデルになったと言われる唐で発行されたものから、15世紀の明王朝時代に発行されたものまで、その年代はさまざま。また、種類も多岐にわたり、当時の貨幣の流通状況をうかがい知ることができます。
○おわりに
山田地区の発掘調査では、1万5千年以上前の旧石器時代から400年前の江戸時代ごろまで、各年代の生活の痕跡や遺物が出土しています。その一部を公開した展示「発掘された古河〜東の門西の門城跡〜」が6月1日まで三和資料館で行われています。ぜひ、ご覧ください。
文化振興課学芸員 大久保芳紀