スポーツ 生井澤 彩瑛 選手 東京2025 デフリンピック 出場おめでとうございます

(陸上女子100m・200m・4×100mリレー・4×400mリレー)

■デフリンピックとは
デフリンピックとは、デフ+オリンピックのこと。デフ(Deaf)とは、英語で「耳がきこえない」という意味です。デフリンピックは国際的な「きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック」なのです。
国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催し、4年毎に開催されるデフアスリートを対象とした国際スポーツ大会です。第1回は、1924年にフランスのパリで開催されました。
東京2025デフリンピックは、100周年の記念すべき大会であり、日本では初めての開催になります。
(出展:東京2025デフリンピック|TOKYO 2025 DEAFLYMPIC
【HP】https://deaflympics2025-games.jp/main-info/about-deaflympics/#gsc.tab=0)

正式名称:第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025
(略称)東京2025デフリンピック
日程:11月15日(土)~26日(水)(12日間)
参加国:70~80か国·地域
選手数:約3,000人
競技数:21競技
※陸上競技は駒沢オリンピック公園総合運動公園等で開催。

■潮来の地元で育った大学1年生、生井澤 彩瑛選手。笑顔を絶やさず、仲間や家族に支えられながら、挑む世界への挑戦について伺いました。

◇競技をはじめたきっかけは
「父が陸上をしていたことがきっかけで、小学3年生からはじめました。最初は鹿嶋陸上クラブに所属していました。」

◇陸上競技での思い出
「先天性の聴覚障害があり、スタートの音が聞こえにくく、どうしても遅れをとってしまうことがありました。
小さな差でも勝負に大きく影響するので、とても悔しい思いをしました。
友達に動作で合図をしてもらったり、一緒にスタートの動きを繰り返し練習するなど工夫を重ねました。
それでも、なかなかタイムは伸びませんでしたが、〝一緒に頑張ろう〟と声をかけてくれる仲間がいたことで、続けることができました。潮来の県民の森でみんなと汗を流した坂ダッシュは、苦しいけれど笑い合いながら走った大切な思い出です。」
仲間と過ごした時間は、苦しい練習の中にも笑顔を生み、生井澤 彩瑛選手の陸上を支える原点となっています。

◇デフリンピックという目標
「高校3年の時、神栖ジュニア陸上クラブのコーチからデフリンピックの存在を初めて聞きました。デフリンピックの陸上競技はスタートの合図がランプ表示となっていて、自分も他の選手と同じようにスタートの勝負ができると思いました。」
新しく挑戦できる舞台の存在を知ったとき、デフリンピックで活躍したいという新しい目標ができました。
そして、憧れの名取 英二部長や佐々木 琢磨選手を目指して、仙台大学に進学しました。

◇走れない日々と支え
今年の6月、選考会後に足底筋膜炎になり、走れない日々が続きました。その間は筋力トレーニングばかりでしたが、先輩方に支えられました。なかでも、佐々木選手は明るく寄り添ってくれる先輩で、気持ちを前向きに保つことが出来ました。」
走れないもどかしさを抱えながらも、仲間の存在に励まされ、気持ちを切らさずに乗り越えることができました。

◇未来へ向かって
「目標は100mで11秒6、そして金メダルです。まだまだ課題はありますが、一生懸命努力していきます。これまで支えてくれた家族、コーチ、友達に恩返しできるようなレースをしたいです。そして、多くの人にデフリンピックを知ってもらえるように頑張ります。」

潮来で育ち、仲間や家族に支えられてきた生井澤 彩瑛選手。その明るい笑顔と前向きな気持ちを胸に、世界の舞台へ挑戦します。
挑戦する姿に私たちも元気をもらえます。みんなで一緒に応援しましょう。

■東京2025デフリンピックキャラバン巡回
令和7年11月に日本で初めてデフリンピックが東京で開催されます。
東京2025デフリンピックやデフスポーツを周知するため、キャラバンカーが日本全国を巡回し
ています。下記の日程でキャラバンが潮来市に訪れ、デフリンピックのPR活動を行います。

日時:10月15日(水) 午後4時~4時30分
内容:
·デフリンピックPR
·記念撮影
場所:潮来市役所 本庁舎前