くらし ふるさと歴史だより

◆常陸大宮市生まれのコンニャクの神様
12月14日に、山方の諸沢地区で「中島藤衛門(なかじまとうえもん)」の没後200年を記念した集まりが開かれました。
市内の山方地区や大子町、矢祭町の方々も参加した、盛大なものとなりました。
中島藤衛門は小学校でも習う市内の偉人ですが、あらためてこの機会にご紹介したいと思います。

藤衛門の功績は色々ありますが、主なものは以下の3つになります。
1.コンニャクの栽培を普及したこと
2.粉コンニャクの製法を発明したこと
3.販路の拡大に尽力したこと

1.コンニャクの栽培の普及
藤衛門が生まれた諸沢地区は、険しい山間部のため、お米があまり作れず苦しい生活をしていました。そこで、この土地で自生するコンニャクを作って売ることで生活を維持できるように、栽培方法を研究し、人々に広めたそうです。

日当たりが良く水はけがよい場所で、2~3年かけて育てる。

2.粉コンニャクの発明
こうして水戸藩の特産品として江戸に出荷されるようになりましたが、生のコンニャクは重くかさばる上に、途中で腐ってしまい、大損をしてしまうこともありました。
そこで藤衛門は、構想から10年かけてようやく、粉コンニャクを発明したのです。

この発明によりコンニャクは、軽くて腐りにくい、運搬に適した商品となり、一年中食べることが出来る食材になったのです。

洗って皮むき
薄く切る
天日で乾燥
砕いて
すりつぶす

3.販路の拡大
すばらしい商品を発明しても、商人に認めてもらい、販売してもらわなくてはお金になりません。販売ルートをつくるために藤衛門は私財をなげうって尽力したといいます。
努力のかいあって、江戸はもちろん東北、北陸、近畿など全国に粉コンニャクが流通することになりました。日本中の人々にとって、コンニャクが身近な食材となっていったのです。

この粉をお湯に溶かすと、あらふしぎ、あっという間にコンニャクの素が!

◆その後…
おかげで農家も水戸藩も大いに潤い、藤衛門が81才の時には水戸藩から功績を賞され、苗字と麻の裃(かみしも)・袴(はかま)の着用を許されました。
そして藤衛門の死後も、コンニャクを作る地域では、秋の収穫終了時期に「藤衛門講(とうえもんこう)」が行われるなど、現代まで功績が語り継がれています。

今では冷蔵技術の進歩もあり、わざわざ粉にすることは減りましたが、年間を通して食卓に欠かせない食材として流通しています。
コンニャクが和食文化の一部となるほど普及したのは、藤衛門さんのおかげといえるのです。

(歴史民俗資料館 中林香澄)

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