文化 [特集]西塩子の回り舞台(1)

現存する日本最古の組立式農村歌舞伎舞台である「西塩子の回り舞台」。200年もの間、塩田地区に受け継がれてきた歴史ある文化財で、茨城県指定有形民俗文化財にもなっています。
「組立式」の名のとおり、公演の度に舞台を一から組み立てるのが特徴の一つです。江戸時代後期から、稲刈りが終わった後、1か月ほどかけて、舞台に使う木材や竹の用意から始まり、麦をまく前の畑を借りて舞台を組み立てて、歌舞伎などの娯楽を楽しみました。その後、跡形もなく解体され、また次の公演時に組み立てて…を繰り返すのが「組立式舞台」です。
そして「農村歌舞伎」の名は、村に来る人形浄瑠璃や歌舞伎の興行を見るだけでは足らず、農民たちが、自ら舞台に立って芝居をすることから来ています。今も、日本の中で「農村歌舞伎」の伝統はありますが、そのほとんどが常設舞台のため、西塩子の回り舞台は全国的にも珍しいものと言えます。
舞台は昭和20年ごろまで組み立てられていましたが、その後、本格的な組立ては行われず、舞台の材料や道具は倉に納められたままになっていました。そんな中、平成3年度に大宮町歴史民俗資料館が調査を実施し、平成9年の復活に至りました。平成13年には「第1回定期公演」と題し、以降、ほぼ3年ごとに舞台を組み立て、公演を行っています。
10月25日、前回の令和元年の公演から6年ぶりに、現存する最古の組立式舞台が復活します。

◆西塩子の守る人々
◇西塩子の回り舞台保存会
「令和元年が最後になっていた定期公演。『このままでは舞台が眠ってしまう』と地域で話し合い、今回の復活を決めました」と第8回定期公演開催のきっかけを話すのは、西塩子の回り舞台保存会の大貫孝夫会長です。
昭和20年以降、舞台の組立てが行われなくなった後も、地域には西塩子の回り舞台の話が受け継がれていたといいます。「舞台の道具は年1回、虫干しをしていたので、存在は知っていました。昔は、公演の際、上京した親族にはがきを送り、それで帰省してきた親族を各家庭が盛大に迎えるとともに、舞台を楽しんでいたのです。また、組立ては行わずとも、フスマなどの道具は、地区のカラオケ大会などで使うこともありました」と大貫会長は話します。
地域で、「語り継がれるもの」であった西塩子の回り舞台が、再現に至ったきっかけは、平成3年の大宮町歴史民俗資料館の調査。「当時、資料館の職員が調査をして、竹ひごで模型も作って。さらに、試しに小学校の体育館で組み立ててみるかと話が進んでいきました。それがマスコミの目に留まったことで、存在が広く知られ、さまざまな支援を受けての復活につながりました」と大貫会長はいいます。
そして今回の第8回定期公演では、運営委員会と力を合わせ、本番に向けて着々と準備を進めています。準備の中で、特に大きな手助けとなったのは運営委員会の「人や資金を集める力」だと大貫会長。「運営委員会の人脈のおかげで、多くのボランティアが集まりました。特に、「竹を使った建築に携わりたい」と市内外の大工の方々から協力をいただけたのが、心強かったです」と話します。また、高齢化が進む保存会では、なかなか手が回らなかったインターネットを活用しての情報発信や資金集めの力も大きく、「全国へと風呂敷が大きく広がっていったのを感じています」と大貫会長は地域の伝統が外へと広がることへのうれしさを見せていました。

◆回り舞台を支える人々
◇西塩子の回り舞台第8回定期公演運営委員会
「初めて西塩子の回り舞台を見たときに、こんな素晴らしい美しい舞台を地域の皆さんが作って、そこで歌舞伎を上演されることに感動しました」と話すのは、西塩子の回り舞台第8回定期公演運営委員会の西野由希子委員長です。茨城大学人文社会科学部で教授を務める西野委員長は、常陸大宮市と茨城大学で結んだ「地域連携協定」がきっかけで、舞台の存在を知り、以降は、学生とともにさまざまな協力を行ってきました。一方で、西野委員長と同じく舞台に魅せられ、個々で舞台への協力を行ってきた人たちがいました。「これまで定期公演に向け、それぞれで保存会を支援していたのが今回はまとまって、『運営委員会』として発足しました」と西野委員長はいいます。
運営委員会の活動の軸にあるのは「西塩子の回り舞台保存会のサポート」。舞台の中心である保存会の意向を最優先に考え、活動を行っているといいます。「会議開催やボランティアの募集など、事務局的な部分を運営委員会では担っています。保存会の方々と話すと、『こういうこともやれるといいね』と話しながらも、手が足りず実現できないということも少なくありません。もしこちらができることがあればなるべくやります」と西野委員長はいいます。
そして、時には、運営委員会のアイデアで新たな風を吹き込みます。前回公演からクラウドファンディング(インターネット上で不特定多数の人から資金を募る仕組み)を始め、今回の公演に対しては、170万円を超える支援が集まりました。
インタビューの結びに西野委員長は、「今回、運営委員会としてまとまり、委員それぞれが持っているネットワークによって、東京の若者や大工などの専門職の方ともつながりができました。そして、運営委員会と名前がついたことで、これまで以上にボランティアや西塩子の回り舞台に興味を持ってくれる人の輪が広がったのがうれしいです」と話してくれました。