- 発行日 :
- 自治体名 : 茨城県常陸大宮市
- 広報紙名 : 広報常陸大宮 2025年10月号
◆戦争モニュメントを調査しています!
近現代史部会専門調査員 学習院大学史料館客員研究員 石井 裕
本年は、終戦から80年という節目の年にあたります。第二次大戦期には、民間人を含めて約310万人(軍人・軍属は約230万人)、茨城県でも約5万3000人という膨大な数の戦争犠牲者を出しています。そのため戦後日本では、故人を偲び、祖霊を供養するお盆(盂蘭盆会(うらぼんえ))の時期を中心に、戦没者を弔う行事や報道がなされてきました。
さて、市内には、数多くの戦争モニュメントがあります。その数は、文献等で確認した範囲でも30基を超えています。その多くは戦没者を弔うためのモニュメント(忠魂碑、招魂碑、忠霊塔など)であり、個人や地域(町村)の戦没者に加え、戦争中に亡くなった軍馬の供養碑など、形態も含めて実にさまざまなものが残されています。現存する多数のモニュメントの存在は、戦争に明けくれた当時の日本の状況をよく示している、ともいえるでしょう。
日本では、戦死者が急増する日露戦争以降、地域で建立されるモニュメントの数も増加します。戦前は、陸軍記念日(3月10日)などのメモリアル・デーに際して、碑の前に遺族や関係者が集まり、神式または仏式で祭事が営まれました。碑の裏面には戦没者や寄付者の名前が刻まれており、そうした祭事を通じて戦没者と遺族を含めた地域の人々の間に一種の宗教的な関係が生まれ、国家や戦争と地域、そして遺族との精神的結合を強めていった、とも指摘されています。
こうしたモニュメントは、現在では寺社の境内や学校の校庭の隅、公園の一角などに屹立(きつりつ)する姿をよく見かけますが、元々は別の場所、例えば人通りの繁多なエリアや人目につく高台などに建立され、その後の都市化のなかで移転を余儀なくされたケースもあります。日本の敗戦後、昭和20年12月のGHQによる神道指令の影響から戦争モニュメントの撤去求められた際には、地域の人々がモニュメントを地中に埋めるなどして隠し、日本の独立後に再び建立したという逸話も伝わります。つまり、戦争モニュメントには、地域と戦争、そして戦没者との関わりを示す濃密な歴史が込められているのです。
戦争の記憶が遠のきつつあるなか、地方の戦争モニュメントの所在やその歴史の把握も難しくなっています。近現代史部会では、市史の編さんを機に戦争モニュメントの集成を進めています。モニュメントに関する情報がありましたら、ぜひ編さん委員会までご一報ください。
問い合わせ:文化スポーツ課 文化振興グループ
【電話】52-1111(内線343)
