くらし あの日あのころ 第439回

福田越子(ふくだえつこ)さん
(熊倉町在住・75歳)

◆こころとからだに寄り添って
私は昭和25年、益子町に生まれました。実家は葉たばこや果樹を育てていました。秋の収穫が終わると、母は隣町の養老院に慰問に行っていました。当時の私は、その行き帰りで母といろいろな話をすることが一番の楽しみでした。
真岡女子高校卒業まで益子で過ごし、その後前橋赤十字高等看護学校を卒業、芳賀赤十字病院で3年間の勤務を経て、昭和49年に新しく設立された自治医科大学病院で働くことになりました。昭和51年から看護師長として病棟勤務の傍ら、へき地医療の看護師研修担当として、宮古島や石垣島の病院で現地研修に参加したり、イスラエルで行われた国際看護学会で、20世紀のナイチンゲールと言われたバージニア・ヘンダーソン女史や他国の看護師との交流を通して看護の喜びを実感したりしました。
40歳を迎え、このままでいいのか?と悩み、放送大学の発達と教育専攻に入学しました。途中、古川記念病院(現日光市民病院)に看護部長として2年間派遣されましたが、5年で卒業することができました。
最も心に残っていることは、がん末期の患者さんです。「どうしても家に帰りたい」と繰り返し懇願され、医師からは反対されましたが、患者さんの想いをかなえたいと、看護師たちとともに何度も話し合いました。休みの看護スタッフが毎日自宅に通うことを条件に、患者さんが自宅で過ごす許可が得られ、1カ月程ケアをしました。まだ訪問看護という考え方がない時代でしたが、患者さんの幸せそうな顔を思い出すと、実現できてよかったと思います。
定年まで長く勤務できたのは、夫や義両親の支えがあったからです。心から感謝しています。
退職後は地域に貢献したいという想いから、厚生労働省所轄の健康生きがいづくりアドバイザーを取得し、ボランティア活動に参加しています。ノンケア体操の指導員やオレンジパートナーとして、こころとからだの健康を支えられることをとても幸せに感じています。これからも、自分の周りの人たちの健康と幸せに寄り添い続けたいです。