- 発行日 :
- 自治体名 : 栃木県那須町
- 広報紙名 : 広報那須 令和7年2月号
■那須町と近現代の人々 vol.38
2月号は、兵庫県出身で、大谷で開拓診療所、保育所所長などを歴任し、戦後開拓地の医療・教育に貢献した福山博を紹介します。
福山は、大正3年11月18日に兵庫県姫路市に生まれました。家は5代続く医者の家系で、昭和15年に日本大学医学部を卒業後、当時の満州国に渡りました。
福山は満州に渡ると、平陽義勇隊開拓団病院長として診療にあたりました(平陽は現在の中華人民共和国黒竜江省ハルビン市)。終戦時には、ハルビンの難民収容所内診療所で7,000人の開拓民を受け持ち、診察を行いました。自身も伝染病に感染したこともあったといいます。このとき山形県大谷村(現山形県朝日町)出身で分村移民として満蒙開拓にあたっていた「阿城大谷開拓団」の一員と知り合いになりました。この「阿城大谷開拓団」は引揚後、昭和21年12月に先遣隊が那須村に入植しましたが、この入植直後に福山も医療器具を整え入植し、診療所を開設しました。翌年からは大谷開拓農業協同組合診療所となり、昭和26年からは組合運営から福山の個人経営にシフトしながらも大谷地区や近隣地区の巡回診療や、月一回の定期健康診断を実施するなど、病気の発見・予防対策など現代に通ずる医療活動に力を注ぎました。これら長年の地道な医療活動が認められ、昭和46年には第23回保健文化賞を受賞しています。
また、福山は教育にも力を注ぎました。昭和22年、大谷では農村託児所を2カ所設置していましたが、昭和27年からは町立大谷保育所(初の町立保育所)に改まりました。そこで福山は主任、後に所長として勤務しました。福山は町予算でマイクロバスを購入すると自らハンドルを握り、運転手として保育所や大沢小学校に通う幼児・児童の送迎を行いました。
福山は那須の開拓地の医療・教育に人生を捧げました。彼の想いの詰まった、旧大谷保育園や旧大沢小学校がその精神を受け継ぎ、活用されることを願います。
問合せ:那須歴史探訪館
【電話】74-7007