- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県九十九里町
- 広報紙名 : 広報くじゅうくり 令和7年12月号
■続ふるさと あの日あの時間
年末のせわしない月となりました。ちょっとお手を休めて私の思い出にお付き合いください。九十九里郷土研究会では、秋の研修旅行で伊能忠敬の故郷佐原へ行きました。佐原の町並み見学や忠敬記念館での懇談など充実した旅行が出来ました。
忠敬(三治郎)が生まれ育った九十九里町と成人後活躍した佐原(香取市)の方々が、交流することは、喜ばしいことです。
元九十九里町誌編集委員長古川力(つとむ)先生(明治41~昭和60)は、前号で紹介した地曳網絵図作製の地曳大網主飯高家から収集した膨大な数万点の古文書を解読され、飯高隠居家の四代目尚寛(しょうかん)惣兵衛(そうべえ)(一七三四~一八〇五)と忠敬(一七四五~一八一八)が、肝胆相照らす仲だったことを解明しました。ある時測量中の忠敬が、幕府の援助金の少なさを尚寛に嘆きましたらそう言わずに頑張れと忠敬を励ましたことが、尚寛の漢詩集『灞陵集(はりょうしゅう)』に見えます。先生はこの成果を『九十九里浦と伊能忠敬―飯高尚寛惣兵衛をめぐって―』(崙(ろん)書房)として発表され、研究者から注目されました。
晩年病床の先生を見舞った折り「齊藤君、後は頼んだぞ」と仰ったことが、心に残っています。
よいお年をお迎えください。
(元九十九里町誌編集委員 齊藤功)
