- 発行日 :
- 自治体名 : 千葉県鋸南町
- 広報紙名 : 町報きょなん 令和7年11月号
■弥助稲荷
吉浜の妙本寺(みょうほんじ)の末寺、九州宮崎の本東寺(ほんとうじ)という寺に、日幽上人(にちゆうしょうにん)という徳の高いお坊さんがいました。ある日葬儀(そうぎ)に行く途中、高千穂(たかちほ)の峰の剣持(けんもち)神社にさしかかると、村人たちが棒きれを持ち、荒縄でしばり上げたキツネを取り囲んでいます。そばには火が燃え立ち、キツネは恐ろしさのあまり身動きもできず、上人をじーっと見上げています。上人がわけを聞くと、「こいつが仲間を引き連れ、畑の作物を荒らし回るので、ようやくひっ捕らえ、見せしめに火あぶりをするところです」と言います。
上人はかわいそうに思い、少しばかりのお金でキツネをもらい受け、「これからは決して農家の作物は荒らすなよ」と言い含めて放してやると、キツネはうれしそうに後ろを振り返り振り返り、山奥へ帰っていきました。
その翌年、お寺の下男(げなん)にしてくださいと言ってきた弥助(やすけ)という男がいます。たいそうまめに働くので、上人もいつもそばに置いて、用を申しつけていました。
そのうち上人は、妙本寺の住職になることになり、弥助もお供をして房州の本山に上がり、忠実に働くうちに、何年か過ぎたある日のことです。
弥助が、「まことに突然ではございますが、国元の急用で、本日限りおひまをいただきとうございます」と言います。あまりに突然のことで、上人も驚きましたが、望みにまかせ、遠路の帰国の手当(てあて)や注意を与えて、さて見送りにと玄関まで出てみると、弥助の姿はなく、キツネがもの言いたげに上人の姿を伏(ふ)し拝(おが)んでは、振り返り振り返り、なごり惜おしそうに山かげに消えていきました。
上人は「あの時のキツネだったのか、よく長年仕えてくれたものよ」と、その恩返(おんがえ)しに感謝するために、妙本寺裏の見晴らしのよい高台に、その霊をまつりました。そのほこらは、誰言うとなく、弥助稲荷(やすけいなり)と呼ばれるようになったそうです。
