- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都新宿区
- 広報紙名 : 広報新宿 令和7年8月15日号(第2508号)
■戦争体験談(3)〜広島での被爆(ひばく)体験 一瞬(いっしゅん)で全てが焼け落ち、幼(おさな)い弟の命も奪(うば)った原爆(げんばく)
吉濱幸子(よしはまさちこ)さん
(終戦時 14歳)
(新宿区被爆者の会「新和会(しんわかい)」)
▼ピカーっと光って黄色に包まれドカーンという轟音(ごうおん)と爆風(ばくふう)が
昭和20年8月6日、私が旧制(きゅうせい)の高等女学校の3年生、14歳の時の話です。私は広島市天満町(てんまちょう)にあった三宅製針(みやけせいしん)という軍需(ぐんじゅ)工場に学徒動員(がくとどういん)として奉仕(ほうし)していました。天満町は爆心地(ばくしんち)から1.2kmと非常に近いところです。
その日の朝、空を飛ぶB29の銀色の機体(きたい)から、ブルンブルンと不気味(ぶきみ)な音が聞こえていましたが、空襲警報(けいほう)も警戒(けいかい)警報も解除され、それぞれの持ち場について作業を始めた時のことです。
掘(ほ)りかけの防空壕(ぼうくうごう)の穴(あな)の中で4〜5人の友人と作業をしていたら、急に周囲がピカーっと光ったと思った途端(とたん)、辺りが黄色に包まれ、すぐにドカーンという轟音がしました。爆風で吹き飛ばされたさまざまな破片(はへん)が穴の中に次々と飛んできて、穴の中に伏(ふ)せている私たちの頭上を埋(う)め尽(つ)くしてしまいました。私たちは深さ1.5mの防空壕(ぼうくうごう)の穴の中で気絶(きぜつ)していました。
しばらくして穴から這(は)い出してみると、周囲の建物は全て崩(くず)れ落ち、至(いた)る所から火が立ち上り、朝なのにひどく薄暗(うすぐら)く、「助けて」といううめき声が方々で聞こえます。それは、まるで修羅場(しゅらば)のようでした。
私は友人と手を取りながら、己斐(こい)(広島市西部)の山の方に逃(にげ)る人たちの無言(むごん)の列に加わって逃げました。逃げる途中(とちゅう)でねっとりとした黒い雨にあたり、それが露出(ろしゅつ)した肌(はだ)にまとわりつき、身も心も恐怖でいっぱいでした。
午後になって救援隊(きゅうえんたい)のトラックが来ました。友人の家がある大野(現・廿日市市(はつかいちし))を目指し、そのトラックに乗って日本三景(にほんさんけい)で有名な宮島口(みやじまぐち)まで行きました。大野は宮島の隣となりの駅なので、そこからは友人と2人でとぼとぼと歩き友人の家に着きました。
私の家は爆心地の東の比治山(ひじやま)公園という小高い丘おかのふもとにあったので、とても家に帰れる状態ではなく、友人の家に2日ほど泊(と)めてもらいました。その後、友人のお父さんに自転車で家まで送ってもらうことになりました。
▼広島の美しい川を屍(しかばね)が流れる 経験したことのない修羅場
広島市内の入り口の己斐まではどうにか行けたのですが、そこから市内に入るのが大変でした。
広島は市内に6本の川(当時は7本)が流れ、その川の三角デルタの上に発展した美しい街(まち)です。そのため、家に帰るには川に架(かか)った鉄橋(てっきょう)を渡る必要があります。鉄橋の枕木(まくらぎ)は全部焼け落ちていたので、残っていた鉄の部分だけをつかんでどうにか渡り切りました。渡っている途中で下を覗(のぞ)いてみると、水を求めて入水し溺(おぼ)れた人の屍が、いかだのように流れていました。
なんとか我が家に辿(たど)り着き、両親・姉と対面しました。ですが、当時小学2年生だった弟は、外で遊んでいた時に直爆(ちょくばく)(直接(ちょくせつ)被爆)して死亡し、小さい骨壺(こつつぼ)に入っていました。私はこの時ほど命のはかなさを感じたことはありません。
これを機(き)に、奇跡的(きせきてき)に助かった命で、何か世の中の役に立てる仕事をしたいと決心して、薬剤師(やくざいし)の道を選んだのです。
私は5年制の女学校を卒業し、進学のために昭和23年に上京(じょうきょう)してきましたが、当時の東京駅はすすだらけで駅前は何一つない焼け野原でした。こんなところで生活できるのかと不安でしたが、親戚(しんせき)の家のある西落合は東京大空襲から免(まぬ)がれ、家も残っていて、現在もこの家に住み続けています。
戦後の何もない時代でしたが、国民が一致団結(いっちだんけつ)して頑張(がんば)ってきたおかげで現在の平和があるのだと痛感(つうかん)しています。戦争ほど愚(おろ)かで惨(みじ)めなものはありません。
毎年8月6日は、平和記念公園横の元安川(もとやすがわ)で灯籠(とうろう)流しが行われています。戦争で亡くなった人の冥福(めいふく)を祈り、思いを託(たく)した灯籠がゆらゆらと川を流れる様は、心癒(こころい)やされる一瞬(いっしゅん)です。
問合せ:総務課総務係
【電話】5273-3505
■学校に残る当時の記憶
区内の小学校で所蔵している、当時の子どもたちの様子が分かる資料を紹介します。
※詳細は本紙をご覧ください
■区の平和への取り組み
▼新宿区親と子の平和派遣
地域の平和の担い手を育むため、8月に区民の親子を広島と長崎に毎年交互に派遣しています。今年は広島に派遣しました。
問合せ:総務課総務係
▼平和のポスター展
区立小・中学校の小学4年生〜中学3年生が平和をテーマに描いたポスターを展示します。
日時・期間・会場・場所:下表のとおり(土・日曜日、祝日を除く)。時間はいずれも午前8時30分〜午後5時(火曜日は午後7時まで(8月20日(水)は正午まで))
問合せ:
・区役所本庁舎での展示…教育支援課教育活動支援係【電話】3232-1054
・特別出張所での展示…総務課総務係