- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都東村山市
- 広報紙名 : 市報ひがしむらやま 令和8年(2026年)1月1日号
■次代へつなぐ、未来への一手
▽東村山の温かい風土。離れられない愛おしさが、この街にはあります。
日本将棋連盟会長 清水 市代
1969年、東村山市出身。1985年、女流2級でプロデビュー(高柳敏夫名誉九段門下)。1988年、初タイトル「女流名人」。1996年、当時の女流四冠独占。2016年、将棋栄誉賞(女流公式戦600勝)。2020年、史上初の女流七段。タイトル登場71回、獲得は43期(女流名人10期、女流王将9期、女流王位14期、倉敷藤花10期)。4つのクイーン称号の資格を有する。2017年より日本将棋連盟常務理事、2025年より日本将棋連盟会長。
▽「自分らしさ」を忘れない。変化の激しい時代だからこそ、心に響く言葉です。
東村山市長 渡部 尚
市長:新年あけましておめでとうございます。本日は、東村山市のご出身で、日本将棋連盟会長としてご活躍されている清水市代さんをお迎えしました。
当市は子どもたちの将棋が盛んで、清水会長の地元ということもあり、子どもたちも指導者も大変熱心です。本日は、東村山での思い出や、これからの未来についてお話を伺いたいと思います。
○東村山が育んだ「不屈の心」
市長:会長の「不屈の将棋」の原点は、幼少期を過ごされた東村山にあると伺っております。思い出の場所はございますか。
清水:実家のある秋津界隈にはやはり愛着があります。東村山は緑が多くてゆったりとしていて、市民の皆さんも優しい雰囲気がありますよね。地方から帰ってきた時に、ホッとする安心感があるんです。
子どもの頃はお転婆で、外遊びが大好きでした。父は将棋の先生をしていて私にも教えたがっていたのですが、私はじっとしているのが苦手で(笑)。父も「無理に教えても身につかない」と、私が興味を持つまで待ってくれていました。
市長:そんな活発な少女が、どのようなきっかけで将棋の世界へ?
清水:実は、利き腕を骨折してしまって。外遊びができず自宅で静養せざるを得ない時に、父が「好機」と捉えたのか、将棋の楽しさを教えてくれました。指せば褒めてくれて、勝たせてくれて。それで将棋の魅力に取り憑かれたんです。
もともと考えることは好きで、好奇心も旺盛でした。将棋は自分の力で無限の可能性を作っていけますから、そのあたりがとても興味深かったのを覚えています。
○盤上は「人生勉強の宝庫」
市長:将棋は勝敗がつく厳しい世界である一方、礼儀を重んじる文化でもあります。子どもたちが将棋を通じ、勝敗だけでなく相手を敬う心を学ぶことについて、どうお考えでしょうか。
清水:最初に父から言われた言葉で、ずっと心に残っているものがあります。「盤上は人生勉強の宝庫だ」という言葉です。これがプロになってからも私の支えになりました。
将棋は、自分の指したい手があっても、必ず「相手がどう指してくるか」を読みます。相手の立場に立って局面を考える。これは普段の生活における「思いやり」に通じます。また、苦しい局面を切り開く創造力や判断力、集中力など、身につく力は数えきれません。
市長:なるほど。子どもたちが将棋以外の場面でも活かせる心構えですね。
清水:そうですね。特に「礼に始まり礼に終わる」精神を大切にしてほしいです。負けを潔く認めて「負けました」と伝える文化は、なかなかないものです。謙虚であればあるほど、感謝の気持ちが生まれ、道具も大切にするようになります。
対局後の「感想戦」では、勝負が終わればお互いに良い一手を探求する仲間に戻ります。相手の言葉を素直に聞く心、これが一番大事であり、将棋以外でも応用が利くものだと思います。
