- 発行日 :
- 自治体名 : 東京都東村山市
- 広報紙名 : 市報ひがしむらやま 令和8年(2026年)1月1日号
本特集では、青葉町にある多磨全生園と人権の森の歩み、1月開催の「あつまれ人権の森」、そして「この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、未来に受け継ぐ」ための市の取り組みを紹介します。
■市域の2%もの広大な緑を誇る「多磨全生園」って何だろう?
東村山市には、東京で唯一の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」があります。多磨全生園は、1909年(明治42年)に設立されたハンセン病の療養所です。園内には、歴史を物語る貴重な建物や史跡が残されており、それらを包み込むように豊かな緑が広がっています。
ハンセン病は、かつて不治の病と恐れられ、入所者の方々は過酷な差別と国の強制隔離政策による筆舌に尽くし難い苦痛を受けてきました。多磨全生園の110年をこえる歴史は、入所者の方々にとっては苦難の中で人間としての尊厳を回復させる闘いの歴史であったと言っても過言ではありません。
1996年の「らい予防法」廃止などを経て、現在は名誉回復と社会復帰が進められていますが、入所者の方々は毎年減少し、令和7年12月1日現在で79人となり、平均年齢も89.1歳となっています。入所者の減少や高齢化は今後も加速度的に進むであろうことは明らかで、ハンセン病問題の完全解決のために残された時間は限られてきています。
■入所者のかたが残してくれた「人権の森」って何だろう?
多磨全生園では、望郷の念にかられながら故郷の山河、家族への思いを託して、昭和23(1948)年から緑化委員会を組織し、植樹活動を行ってきました。その後、自然解消していた緑化委員会でしたが、昭和46(1971)年に再度設置し、ふるさとの森造り計画(昭和58(1983)年)を立て、一人一木運動や県木の森など、さまざまな緑化活動を行ってきました。252種、3万本もの園内の緑、そのほとんどは入所者の方々が「将来、自分たちがいなくなった時も、自分たちを受け入れてくれたこの緑の地を東村山の市民に残そう」との思いを込めて植え、育ててきたものであり、これらの木々の成長は、多磨全生園の110年余の歴史と重なり合っています。
入所者自治会は、このハンセン病の歴史・人権の歴史とともにある豊かな緑、ハンセン病資料館、共同生活を営んできた寮や館、神社、納骨堂などの歴史的価値を持つ建造物や史跡、これらすべてをハンセン病記念公園「人権の森」として保全・保存し、後世に伝えようと、平成14(2002)年、「人権の森」構想を立ち上げました。
平成21(2009)年、市は「いのちとこころの人権の森宣言」を行い、この緑の地は、入所者と市民との交流を通じて、「いのちとこころの人権の学びの場」として「人権の森」と呼ばれています。
○いのちとこころの人権の森宣言
かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。
この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。
平成21年9月28日
東京都 東村山市
○さくら公園
元は入所者の畑だったところだが、1992(平成4)年資料館を建てるときに返還してもらい、資料館側にあった樹木数十本を移植して、さくら公園を造成。令和5年度より開催している「あつまれ人権の森」の会場になっています。
○山吹舎(復元)
1928(昭和3)年に、患者作業により建築された寮舎。症状の軽い独身男性の患者さんが集団で生活し、多いときには、12畳半の1部屋に患者さんが8人同居することもありました。
○納骨堂
亡くなったあとも、故郷に帰ることのできない入所者が眠る場所です。せめて死後は、陽の当たる場所で眠りたいとの思いから、入所者や職員、宗教団体などの寄附により1935(昭和10)年に現在の場所に患者作業で建設されました。現在の納骨堂は2代目で、1986(昭和61年)に入所者の募金によって建設されたものです。
○県木の森
入所者自治会の緑化委員会は、園内の緑化をすすめるとともに、入所者が故郷を懐かしむことができるように都道府県の木を植えようと、1983(昭和58)年、各都道府県に苗木の提供をお願いしました。そうして集まった苗木を、多磨全生園の北東にある矢島公園のまわりに植え、県木の森と名付けました。集まった苗木の一部は新井公園にも植えられました。
