- 発行日 :
- 自治体名 : 福井県坂井市
- 広報紙名 : 広報さかい 2025年4月号
■市内に走る道の今昔
市内外に移動するために、私たちは車や電車などに乗り、道路や線路を行き来します。また、大きい物を運ぶとき、船や飛行機を使って海路や空路を利用することもあります。それでは、かつてはどのように人や物を移動させていたのでしょうか。
古代における道路の運用システムができたのは律令期の7世紀ごろです。情報伝達のために、早馬(はやうま)が疾走できるように道路を整備する必要があり、道路の一定距離ごとに馬を乗り換える、今で言う駅と馬を設置し、全国支配と共に駅制が始まりました。その駅制も、律令制が崩れる10世紀ごろに維持が難しくなり、現在で例えると県ごとに馬を置き、管理するような体制が主流になっていきました。また、律令期には畿内から越前国を通って越後国に至る「北陸道」が設けられ、現在も市内を通っています。江戸期には幕府や藩により街道整備が進みました。
内陸部では、古代から近代まで、川舟を用いた河川交通が重要な役割を持っていました。日本海につながる九頭竜川河口にある三国湊から物を運ぶため、市内を流れる主要河川は利用されました。しかし、明治中期から鉄道が開通し、輸送の主力も船から鉄道に移っていきました。
空の便はどうでしょうか。春江町には、県内で唯一の空港である福井空港があります。福井空港は、昭和41年に開港し、当初は福井・東京間の定期便がありました。しかし、昭和48年に小松空港がジェット化された影響で利用者が激減し、昭和51年に定期便が休航となりました。現在は、県防災航空隊のヘリコプターなどが配備されています。
市内外に広がる道は、人だけでなく物や技術、文化などさまざまなものを、さまざまな手段で運んできました。今年度はそんな「道」にまつわる話を紹介していきたいと思います。