文化 ふるさとの誇り223 〇(まる)博レポート

■人と馬の風景~炭を運ぶ馬との記憶~
一月号に引き続き午年に因み、今月号でも本市と馬との記憶を掘り下げていきます。近代では様々な物を運ぶために馬の力を借りていました。その中でも根方(ねかた)、築山の暮らしには、人々の生活に欠かせない燃料であった炭を運ぶ馬もいました。現在では見ることができなくなった当時の様子を、築山の市川良一(りょういち)さんから伺った体験談をもとに振り返ります。
昭和十年頃、当時小学生だった良一さんの父である市川貢(みつぎ)さんは、芦安で行われていた炭焼きの一区域を取りまとめており、炭焼きに携わる人々のための食料を準備するほか、生産された炭の運搬や保管、販売などを行っていました。炭焼きは一年を通して行われていたため、市川家の土間には米や味噌などの食料が常に用意されており、それらを山へ運ぶ人々が頻繁に出入りしていたそうです。
炭を運ぶ仕事は、一日二回、午前と午後に行われていました。馬小屋から馬を出し、荷鞍(にくら)や胸繋(はも)などの馬具を装着させ、馬の餌となる藁などを積んだ荷馬車につなぎます。準備が整うと出発し、貢さんは手綱(たづな)を取りながら歩いて馬を導き、良一さんは荷馬車に乗せてもらいました。一行は築山から駒場の集落を抜け、細い一本道を通って炭が集められていた芦安へ向かいました。当時の道はまだ舗装されておらず、荷馬車の車輪も現在のようなゴム製ではなかったため、道中は大きく揺れ、決して快適な道のりではなかったそうです。
炭の集積地には倉庫が建てられており、馬をつないで餌を与えている間に、俵に詰められた炭を荷馬車へ積み込みました。一度に積む量はおよそ十五俵で、すべて積み終えると良一さんは荷馬車に乗れなくなり、帰り道は歩いて戻りました。幼い良一さんにとって、その道のりは決して楽なものではなく、とても辛かったと話されています。
貢さんと馬が曳く荷馬車の後ろを歩いていると、道の揺れで炭が崩れ、俵からこぼれ落ちた小さな炭が地面に散らばることがありました。良一さんはそれを拾い集め、家のこたつの燃料として使ったそうです。そのときの暖かさとともに、この出来事は今でも心に残る思い出として語られています。
運ばれた炭は、検査を受け等級が決められて販売されました。市川家に保管された炭を求めて、倉庫町や六科、韮崎市からも仕入れに来ていました。また炎がよく出る松炭「鍛冶屋炭(かじやずみ)」も取り扱っていたため、鍛冶屋もその炭を買いに来ていたそうです。
炊事や暖房に欠かせない炭をはじめ、人々の暮らしを支える様々な物を運んだ馬たちは、本市の近代化の一端を担っていたのです。

文:文化財課
写真:文化財課
絵:市川良一

南アルプス市における馬との関わりについては広報南アルプス2024年12月号「ふるさとの誇り209」近代西郡を拓いた馬車鉄道については広報南アルプス2026年1月号「ふるさとの誇り222」など過去に紹介しています。本紙QRコードから是非ご覧ください。

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