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- 自治体名 : 山梨県北杜市
- 広報紙名 : 広報ほくと 令和7年11月号
■山梨県指定有形文化財 下大内(しもおおうち)遺跡第225号土坑出土品一括
今回紹介するのは、明野町下大内遺跡第225号土坑出土品です。1995年の調査で、器高78・4cmもある壺型土器1点(図1)のほか、2個体分の壺型土器片、打製石斧(だせいせきふ)1点、黒曜石破片1点、剥片(はくへん)1点が土坑から発見されました。壷型土器は土圧で潰(つぶ)れていたものの立位で安置され(図2)、異なる2種類の土器片で蓋(ふた)状に覆われ埋納された状態で出土しました。壷型土器には、口縁部に突帯文(とったいもん)が巡らされており(図3)、これはほかの再葬墓(さいそうぼ)から出土する壷型土器と類似しています。人骨は検出されていませんが、土器の器形や特徴、土杭(どこう)に立位で埋納されている出土状況などから、弥生時代前期(紀元前8~4世紀頃)の再葬墓であると推測されています。再葬墓の発見例が少ない山梨県において、弥生時代の葬制やその背景を検討する貴重な資料として、出土資料が一括で山梨県指定有形文化財となっています。
再葬墓とは、遺体を一度仮葬し、肉を腐らせるか、焼いて骨だけを取り出し、土器の中に収納して埋納する弥生時代を代表する墓制のことで、弥生時代前期から中期に東海中部地方から関東・東北南部にかけて流行しました。骨蔵器(こつぞうき)として壺型土器を使用することが特徴で、同時期に西日本でみられる甕棺墓(かめかんぼ)や縄文時代の再葬墓と区別し、壷棺再葬墓や弥生再葬墓とも呼ばれています。
弥生時代は稲作を中心としたムラやクニが作られ始める時代です。その時代の中で、一説に再葬墓は、祖先との結びつきなどによって集落構成員の結束を強めるために出現し定着した墓制だと言われています。弥生時代に北杜の地で生きた人々の生活や習俗が垣間見える資料です。
※縄文時代の遺跡からは、深鉢型土器を骨蔵器として利用した土器棺再葬が確認されています。
※図は本紙をご覧ください
■訂正とお詫び
広報ほくと10月号において津田仙からの手紙の宛名を「清水御恵美様」と読み下していましたが、正しくは「清水於恵美様」でした。訂正してお詫び申し上げます。
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