文化 ―山県大弐生誕300年記念企画―明治維新を創った男 大弐に迫る 第1回

今年は、郷土が生んだ大学者「山県大弐」の生誕300年という記念すべき年に当たります。それを記念して、小説家の江宮隆之さんが全3回にわたり、大弐の生涯やその後の時代に与えた影響などを紹介します。

山県大弐という江戸時代中期の学者であり、思想家であり、医師でもあった人物がいます。享保十年(一七二五)、現在の甲斐市篠原六本柳に生まれました。
大弐は江戸時代をとおし学者・思想家として、その頂点にいるといっても過言ではないほどの人物です。江戸で開いた私塾「柳荘塾」には門弟三千人が学んだ、という話が伝わるほどでした。「柳荘塾」で大弐は、儒学を中心に兵学、天文・暦学や医学までを教えました。
幼い頃から大弐は、学問が好きで、現在の甲府や南アルプス市に塾を開いていた一流の儒学者から多くを学びました。その時に医学も学び、さらに京都に出て見聞を広めました。京都は寂れていて、天皇や公家の屋敷も半分は荒れ果てていました。こうしたことに、大弐は心を痛めました。
後に書き上げた思想書『柳子新論』で「一君万民(尊皇思想)論」と「放伐(武力革命)論」を示したのも、京都での見聞が根底にありました。そして、この『柳子新論』が大弐を幕府への謀反人という立場に追い込むことになるのです。
次回は、「山県大弐」の名前の由来と『柳子新論』などについて紹介します。

江宮隆之 著