- 発行日 :
- 自治体名 : 長野県長和町
- 広報紙名 : 広報ながわ 令和7年2月号
■山車紹介
◇〔下町・藤見町第4場〕忠臣蔵 討ち入りの場
時は元禄(げんろく)十五年十二月十四日、江戸の夜風を震(ふる)わせて、鳴るは山鹿流(やまがりゅう)の陣太鼓。
主君の無念死、お家取り潰(つぶ)し、片手落ちの不公平な綱吉(つなよし)の裁定、赤穂浪士にとって憤怒(ふんど)やるかたなき仕打ちに、浅野家筆頭(あさのけひっとう)家老の大石内蔵助(くらのすけ)は「吉良上野介(きらこうずけのすけ)を打ち取り、浅野内匠頭(たくみかみ)の無念を晴らす」事と決意を固めた。金もなく、毎日の生活にも困窮(こんきゅう)する中、様々な誘惑に負けることなく仇あだうち討ちの意思を持ち続けた義士(ぎし)は四十七人であった。
苦節、浅野内匠頭切腹から一年十ヵ月、元禄十五年十二月十四日夜、吉良上野介の在宅を確認した赤穂義士は吉良邸へ討ち入りした。吉良邸には、百人を超える守備の侍たちが待ち受けていた。
義士たちは山鹿流の兵法に従って、表門と裏門から同時に攻め入り三人一組で吉良上野介を探した。
夜明け前になって物置に隠れ潜(ひそ)んでいた吉良上野介を見つけ出し、見事に仇討ちは成功したのであった。
◇〔桜町第5場〕信濃路をゆく黄門一行の場
テレビドラマ「水戸黄門」は、江戸時代の名君・徳川光圀(みつくに)をモデルとし、1969年の放送開始以来、日本中で愛され続けてきた時代劇の名作です。
光圀は、水戸藩第二代藩主として徳川家康の孫にあたり、その学識と政治手腕から「天下の副将軍」と称された。晩年に領内を巡り民の声に耳を傾けた逸話(いつわ)は、黄門様の旅の原点となっている。ドラマでは黄門様の正義感と人情味溢(あふ)れる姿が視聴者の心に刻まれている。中でも「この紋所(もんどころ)が目に入らぬか!」と印籠(いんろう)を掲げるシーンは、世代を超えた日本の象徴的な場面となった。
黄門一行が山々に囲まれた美しい信濃路を訪れた。旅の途中、村人たちが悪代官に苦しめられている現場に出会い、その不正を暴くことで人々を救った。笠取峠の茶屋で一服を終え、浅間山の雄大な姿に見送られながら、次なる目的地である中山道長久保宿へと向かう。黄門様がその温和で威厳(いげん)ある佇(たたず)まいで一行を先導し、助さん・格さんは力強い表情で主君を護る。お銀の周囲を警戒する姿が印象的で、八兵衛の明るい笑顔、弥七の鋭い眼差しが、一行の絆と旅の物語を彩る。
特殊詐欺、裏金問題、闇バイトなどお金にまつわる暗いニュースが毎日のように紙面に掲載される。
そんな現代の私たちに、人々の苦しみに寄り添い、不正を正す黄門様の姿は、社会のあり方を見直すきっかけを与えてくれる。