- 発行日 :
- 自治体名 : 岐阜県坂祝町
- 広報紙名 : 広報さかほぎ 2025年4月号
■渡船場
かつて勝山から鵜沼にかけての中山道は難所の一つでした。特に岩場の観音坂越えは急坂で、人はもちろん荷物の運搬が困難でした。このため利用されたのが渡し船で、木曽川右岸の勝山湊(みなと)(取組地内)と左岸の尾張国栗栖(くりす)を結んでいました。
勝山湊からは中山道や加治田街道(名古屋街道)、郡上街道(犬山街道)を通って集まった米や薪が積み出され、犬山・桑名・名古屋方面へ運ばれました。けれども明治20年ころに木曽川沿いに鵜沼にぬける平坦な道ができると、荷物は馬車や大八車で新道を運ばれるようになり、湊の役割は低下しました。
勝山湊の渡船場は、明治35年に下流の岩屋観音下に移転されました。両岸に張り渡したワイヤーと滑車を使って、水の流れる力を利用した岡田式渡船法が採用され、増水時にも運航でき、それまでより大型の船も使われました。栗栖との渡船は昭和30年ころまで営業されていました。