その他 市史編さんNEWS 第3回

◆奈良時代の員弁郡大安寺領
名古屋大学大学院 人文学研究科 教授 古尾谷知浩
いなべ市として合併する前の旧員弁郡大安町(現いなべ市大安町)は、昭和34(1959)年に旧梅戸井町と旧三里村が合併して成立し、町名もその時に定められました(その後昭和38年に石加村と合併)。名前は、奈良時代に大安寺の所領があったことが由来の一つとなっています。大安寺は、最初の天皇発願寺院である百済大寺の系譜を引いています。平城京遷都後に左京六条四坊の地に移転し、大安寺と改称されました。奈良時代の半ばに東大寺ができるまで、大安寺は日本最大の寺院でした。
奈良時代の大安寺の資産をリストアップした文書として、天平19(747)年の「大安寺伽藍縁起并流記資財帳(だいあんじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)」があります。これによると、大安寺にはその活動を維持するために、天皇から多くの土地が寄進されたことがわかります。そのうちの3箇所が員弁郡に設けられていました。
・宿野原500町(東限は鴨社、南限は坂河、西限は山、北限は丹生河)
・志理斯野100町(東限は山・河、南限は百姓宅、西限は岡本、北限は川・山)
・阿刀野100町(東限は百姓墾田御井、南限は武賀河、西限は高山、北限は阿胡登山道)
これらがどこにあったのかということは、古くから研究されてきましたが、今回、いなべ市史の編さんにあたり、改めて「資財帳」記載の地名と、現状の地形や現存する地名とを照らし合わせて検討しました。その結果、宿野原は現在のいなべ市大安町丹生川付近、志理斯野は、いなべ市藤原町志礼石新田付近、阿刀野はいなべ市大安町の宇賀川北岸付近であるとする従来説を確認した上で、少し新しい知見を加えることができました。詳しくは、市ホームページから確認してください。

・大安寺伽藍縁起并流記
資財帳に記載されている宿野原と考えられる場所。
現在では、鴨神社などがこの場所にあります。

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全4回でいなべ市史編さん事業をお伝えします。
次回掲載は2026年2月号です。お楽しみに!