- 発行日 :
- 自治体名 : 三重県伊賀市
- 広報紙名 : 広報いが 2025年5月号
■上野城跡の防空壕(ごう)跡
今年は戦後80年にあたるということで、これまで市内に残る戦争の痕跡について紹介してきました。今回は、当市のランドマークのひとつ、上野城跡に残された戦争の痕について紹介します。
上野城跡は、天正13(1585)年に筒井定次によってはじめて築かれ、慶長16(1611)年に藤堂高虎による大改修を受けた近世城郭です。明治の廃城令の対象となった後、大正時代から公園としての整備が本格的に進み、戦前には復興天守である伊賀文化産業城、俳聖殿といった今も残る建物が建てられました。
近代以降、文化産業の振興や市民の憩いの場となった上野城跡ですが、昭和16(1942)年に太平洋戦争が始まると、再び軍事拠点としての役割を負わされることになります。海軍の第1001航空戦隊の司令部がここに置かれたのです。この際、本丸北側の空堀跡には防空壕が築かれ、戦争のためではなく、地域の振興を願って建てられたはずの伊賀文化産業城には対空機銃が設置されたといいます。やがて戦争が終結した後、上野城跡は昭和27(1952)年に一部が県指定史跡に、昭和42(1967)年には国史跡となって今にいたります。
さて、戦時中に上野城跡に置かれた司令部に関する痕跡の一部を、今も目にすることができます。俳聖殿側から本丸に登る階段の左手側斜面に見えるコンクリート製の構造物は、ほとんどが土砂に埋もれて全ぼうをうかがうことはできませんが、その位置からここに数基が築かれた司令部用防空壕のうち1基の入口であると考えられます。お城に訪れた際には、近代以降に上野城跡が辿(たど)った歴史についても、思いを馳(は)せてみてはいかがでしょうか。
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