- 発行日 :
- 自治体名 : 三重県菰野町
- 広報紙名 : 広報こもの 令和7年9月号
■菰野町での学童疎開
太平洋戦争末期、米軍のB29爆撃機による本土空襲が激しくなると、空襲から若い命を守るために学童疎開が行われるようになり、東京や横浜、名古屋、神戸などの大都市に住む児童が地方へ疎開を始めました。疎開生活では学校教育が停止され、食糧不足や親と離れた集団生活、疎開先の習慣の違いなど幼い児童にとっては多くの苦難があるものでした。菰野町でも学童疎開を受け入れた記録が残っており、名古屋市の笹島(ささしま)国民学校と高辻(たかつじ)国民学校の児童が鵜川原村や三重郡内の国民学校に学童疎開をしています。また、禅林寺(下村)には、当時、疎開をした人々が終戦後に再び菰野町を訪れ、植樹をした木が今も残っています。
■菰野町の戦争遺跡より戦争を知る
会場:図書館2階郷土資料コーナー
期間:令和7年7月1日~9月21日
時間:9:30~18:00