文化 歴史は未来の羅針盤 温故知新

[日野歴史探訪]
私たちの住む日野町には、52の大字があり、それぞれの地域が豊かな自然と歴史文化で彩られています。
温故知新では、町内各大字の歴史と代表的な文化財をシリーズで紹介していきます。

◆古(いにしえ)からの伝統 日野祭
今年も5月2日から4日にかけて、日野祭が賑々(にぎにぎ)しく催行されました。日野祭は、日野町内に広大な氏子圏(うじこけん)(西大路・村井・大窪・松尾・上野田を中心に、日田・木津・河原を含む8つの大字)をもつ馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社(村井)の春の例大祭(れいたいさい)で、約850年の歴史を誇ります。昭和60年3月29日に「日野曳山(ひきやま)祭」として滋賀県指定無形民俗文化財になっています。
2日に宵宮(よいみや)、3日に本祭(ほんさい)、4日に後宴(ごえん)が行われますが、3日の本祭では、村井にある神社と上野田にある御旅所(おたびしょ)(雲雀野(ひばりの))との間を神子(かみこ)・神調社(しんちょうしゃ)や神輿(みこし)などの行列が渡御(とぎょ)する古式ゆかしい「神幸(しんこう)の祭り」と、西大路・村井・大窪の3つの大字から出される16基の曳山を中心とした「曳山の祭り」があわせて行われているところに特徴があります。
氏子圏内の複数の村が共同して行う神社のお祭りを「郷(ごう)祭り」といい、日野祭は、郷の祭りと都市の祭りの要素を色濃くあわせ持ちながら発展してきた湖東地域を代表する祭りの一つです。

◆渡御行列と曳山
渡御行列の先頭は、芝田楽(しばでんがく)とも称される「神調社」と3人の「神子」で、上野田の人々によって担われます。早朝より五社(ごしゃ)神社(上野田)へ集合し、馬見岡綿向神社に向けて出発し、宮入後、境内左側の高芝(たかしば)に着座します。神輿舁(か)き・神幣(しんぺい)・曳山などが順次、神調社に到着を告げる使者を立てて許しを得てから宮入をします。
神輿は3基あり、西大路「上の番」、村井「中の番」、大窪と松尾「下の番」が担います。5基の神幣は、西大路・村井・大窪・松尾から1基ずつと、越川町から1基出されます。
18世紀前半には誕生していたとされる曳山は、午前8時半ごろから、笛や大太鼓・小太鼓・すり鉦(がね)を用いて「バカバヤシ」「ヤタイ」などの祭囃子(まつりばやし)をにぎやかに演奏しながら巡行します。また、日野曳山の特徴の一つでもある「ダシ」と呼ばれる作り物が毎年新調されて曳山の上にのせられます。
御旅所までの渡御と神事を終えると、神社への還御(かんぎょ)となります。還御の宮入後、神子と宮司が境内参道で「七三(しちさん)の別れ」と呼ばれるあいさつをかわす儀式を行い、本殿前での神事を終えると神子・神調社が五社神社へと帰参します。続いて明かりを灯した曳山も各町内へと帰参し、にぎやかな祭礼が終わります。

◆日野祭総合調査が始まりました
日野町教育委員会では、令和7年度から9年度の3年間にわたり、文化庁の支援を受けて日野祭総合調査を実施しています。
日野祭総合調査は、行事の内容、曳山、祭を担う組織・団体の役割等、日野祭に関わる事柄を総合的に調査・記録し、あらためてその価値を明らかにするとともに、日野の“たから”である日野祭を次世代に保存・継承していくために、地域総がかりで調査を進めていきます。調査へのご理解ご協力をお願いします。

問い合わせ先:近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」
【電話】0748-52-0008