文化 文化財めぐり 461

■亀山藩領と亀岡市
岡部長盛は、元和七年(一六二一)に福知山へ転封となります。岡部氏は、美濃大垣や播磨龍野等を経て、寛永十七年(一六四〇)から和泉岸和田藩の藩主となり、明治時代まで岸和田藩主として在城し続けました。
岡部長盛の後、丹波亀山藩主となったのは大給(おぎゅう)松平氏でした。大給松平氏は松平一族で、徳川家康から大給(愛知県豊田市)に所領を与えられことから、大給と名乗るようになったと言われています。
大給松平氏は、小牧・長久手の戦、関ケ原の戦、大坂冬の陣・夏の陣に従軍して軍功をあげ、元和七年に亀山城主となった際には二万二千石の領地を与えられていました。
ところで、亀山藩の領地と言うと、その領域について現在の亀岡市域と重ねてイメージされることが多いですが、実は両者の範囲は一致しません。とくに岡部氏や大給松平氏が藩主だったころは、亀山藩領といっても園部(南丹市)や多紀郡(兵庫県丹波篠山市辺り)、氷上郡(兵庫県丹波市辺り)での散在地が多く、岡部氏が亀岡市域で与えられていた領地といえば、旧亀山城下町と周辺の村々くらいでした。
亀山藩領が亀岡市域に重なってくるのは江戸時代後期以降と考えられます。