- 発行日 :
- 自治体名 : 京都府亀岡市
- 広報紙名 : 広報かめおか 令和7年11月号(第052号)
■寛永文化と亀岡の建造物
今回は、政治史を離れて文化史にスポットを当ててみます。江戸時代前期の寛永期、亀岡市域には豊かな文化が栄えました。
寛永期の文化(寛永文化)といえば、将軍徳川家光の時代に江戸・京都で栄えた文化で、栃木県にある日光東照宮に象徴されるような豪華絢爛な建造物、金地に描かれた俵屋宗達(たわらや そうたつ)の『風神雷神図屏風』などが知られます。
この寛永文化を象徴するような建造物が、実は亀岡市内にも存在します。ひとつが、保津町にある保津八幡宮社本殿と請田神社頓宮です。本殿については近年本格修理が施され、柱や虹梁(こうりょう)、木鼻に創建当初の丹色(朱色)や緑青・群青といった鮮やかな彩色が復元されています。
同時期に建造されたのが、薭田野町鹿谷にある千手寺開基堂です。こちらも近年本格修理がなされ、堂内部の内陣柱や格天井には鮮やかな丹色や緑青などの創建当時の彩色が現存しています。
これらの建造物は、寛永文化が幕府や公家、有力町人がその担い手であったように、亀山藩主や有力者がパトロンとなって創建・改修されたものと考えられます。
両社寺を廻りながら、豪華絢爛な寛永文化の一端に触れてみてはいかがでしょうか。
