くらし 特集 星になりたい 珠玉のベーカリー(2)

■一番最初の高槻との接点は、土室町にあったガソリンスタンド。
ー船井さんは、福井県の小浜出身ということですが、今店がある高槻とはどのようにして縁がつながったんですか?
▽「高校を卒業して大阪に出てきて、最初はガソリンスタンドで働いていたんですね。まずは上新庄で勤務していたのですが、高槻に新しいスタンドができるから副店長で赴任してと言われまして。そこで初めて高槻と接点ができます。もう今はそのスタンドはなく、コンビニになっています。自分で高槻に行きたいという気持ちで来たわけじゃないんですけど、たまたま縁がありましたね」

ーなんと、最初に高槻で働いていたのがガソリンスタンドだったとは意外でした。それから[ROUTE271]を高槻でオープンさせるまでにずいぶん年月が経ちましたが、その間はどうされていたのでしょうか?
▽「ガソリンスタンドを辞めて、そこから食の世界に入ります。最初は大阪市・南船場の[カフェ・ガーブ]。お店ができて間もない頃です。パティシエになりたくて、お菓子希望で入ったんですけど、パティシエは人手が足りていてパンを担当するようになるんですよ。パンとの最初の接点はそこですね」

ーまたしてもたまたま…パンとの接点が生まれるのですね。そこからパン道一筋ですか?
「いえ、そのあと、苦楽園のパティスリーや西宮のブーランジュリーで働いて、その後常々レストランで働きたいと思っていたので、大阪市・本町の[カランドリエ]というフレンチに行きます。そうこうしているうちに30歳を超えた頃、もう1回パンへ原点回帰しようと思って、京都の[ル・プチメック]の御池店で店長をやりました」

■氷室町に初めて自分の店、[ROUTE271]をオープン。
ー本当に、関西の一流どころのベーカリーやパティスリー、レストランで働いてきたわけですが、その頃から独立を考えていたのですか?
▽「31歳のときに独立しようと思って、一度福井に帰ったのですが、この場所で僕が学んできたことが生かせるんかなと疑問を感じてしまって。ちょっと視野を広げようと滋賀、京都、大阪の北摂ぐらいまでで物件を探し始めて。その頃は今までいろいろ経験した自負もあり、俺ならなんとでもなるはずや!みたいな変な自信がありましたね」

ー平成21年に、自身の店として初めての[ROUTE271]をオープンします。氷室町の阿武野小学校の前という場所に決められたのはどういう経緯ですか?
▽「いろいろ探したんですけれど、かつて働いていたガソリンスタンドと近かったので土地勘があったのと、すぐ近くにパン屋が同じ通り沿いにあって、そこが人気だったんですよね。だからある程度は売れるんじゃないかなという計算もあって。小学校の前というのも悪くはないかなと思って決めました」

ー土室町のガソリンスタンドで働いていたことが、高槻でお店を出す大きな要因になったんですね。
▽「そうですね。それがなかったら、高槻でお店はやっていなかったでしょうね」

ー満を持して自身の店をオープンしてどうでしたか?
▽「半年ぐらいは自分の給料も出ないぐらいで、自信は一瞬で砕かれました(笑)。オープン初日の売り上げからして微妙やったんですよ。あれ?って(笑)。当時はSNSもなかったので、雑誌に写真と手紙を送って。しばらくは無反応でしたけど、半年後ぐらいに初めて情報誌に載せてもらって、それで集客が結構あったんですよ。そこから好転し始めました」

ーその後、今の[丹青]がある場所に2号店を出すのですよね?
「はい。当時は次の店を出すことなど全然考えてなかったのですが、たまたま通りがかった時にテナント募集の張り紙があって、ここは場所がいいなと思って、すぐに電話して家賃を聞いたら、思ったより安かったんですよ。すぐ契約しました。ここを2年目ぐらいで確保できたのも、パン屋として好転していくきっかけになりましたね」

・並んでもらったお客さんにいろいろ選んでもらえるよう開店時には9割がたパンを出すそう。
・「[サニーサイド]の社長さんとは、今では仲良くさせていただいてます」と船井さん。
・「満足いくまでは出さないので、なかなか新作は出ないですね」と船井さん。