- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府和泉市
- 広報紙名 : 広報いずみ 令和7年12月号
■浮世絵を展示 いきものたちの姿を見に来ませんか
いずみの国歴史館では、11月30日(日)から冬季企画展「浮世絵の中のいきもの展」を行います。
大阪・関西万博が10月閉幕を迎えました。
日本が初めて万博に参加したのは、慶応3年(1867)、第2回パリ万博でした。このころ日本は幕末で江戸幕府が浮世絵を出展したという記録が残っています。
浮世絵は江戸時代のはじめに制作されるようになり、庶民の娯楽として親しまれました。パリ万博へ出展されたことをきっかけに海外からも人気を集め、西洋での日本ブームいわゆるジャポニズムを引き起こします。
浮世絵の大胆な構図や輪郭線を用いた描き方は写実主義を主とする西洋の画家たちの目に新しく映ったようです。
人びとの娯楽として数かずの浮世絵が出版されましたが、江戸時代後期にはその生産に大きな壁が立ちはだかります。
天保12年(1841)、水野忠邦による天保の改革で贅沢を禁止する奢侈(しゃし)禁止令が発令されると、浮世絵の出版にも規制がかかりました。人気の題材であった歌舞伎役者や遊女を描くことが禁止され、使用できる色数にまで制限が及ぶようになったのです。このような苦境の中でも、浮世絵師たちは活動を続けました。斬新な発想でユーモアあふれる絵を描いた歌川国芳の作品を紹介します。
「朧月猫(おぼろづきねこ)の草紙(そうし)」は国芳が絵を描き、山東京山(山東京伝の弟)が物語を書いて作られた、雌猫おこまの一代記です。挿絵が入った和綴じの本で天保12年から嘉永元年(1848)にかけて全7巻が制作されました。登場する猫は、顔貌や着物の紋などから、実在する歌舞伎役者をモデルにしていると推測されています。これは猫を擬人化して歌舞伎役者に見立てることで規制の隙を突いたアイデアなのでしょう。この草紙は和泉市の伯太藩のお殿様に仕える家臣杉浦家に遺されていました。本紙10月号の「市史だより」で紹介した、「上級藩士のおしごと」にあるように、礼儀作法を重んじる社会で生きる人びとにとって、国芳の描く絵はささやかな息抜きになっていたのかもしれません。
国芳のアイデアが光る作品がもう一つあります。
「荷宝蔵壁(にたからぐらかべ)のむだ書(黄腰壁(きこしかべ))」は弘化4年(1847)に制作された浮世絵版画で、歌舞伎役者の似顔絵が落書きのように描かれています。顔の特徴が誇張されているため、見る人は役者を想像しながら楽しむことができたのでしょう。
前述の2点を含め、いずみの国歴史館では、和泉市久保惣記念美術館に所蔵される約6、000点の浮世絵のうち計34点、そのほか教育委員会所蔵の2点を前期[12月27日(土)]・後期[令和8年1月6日(火)〜25日(日)]に分けて展示します。
問いずみの国歴史館
【電話】53・0802
