文化 ふじいでら歴史紀行 221

【道明寺の歴史を語る 6 エピローグ】
これまで、道明寺地域の歴史についてさまざまな視点から見てきました。土師寺と呼ばれた道明寺のご本尊の十一面観音菩薩立像、菅原道真公が自ら作られたと伝えられ、試みの観音と称される十一面観音菩薩立像のお話をしました。また、道明寺に住んでいた道真公の叔母、覚寿尼(かくじゅに)と道明寺糒(ほしい)の起源にまつわる伝承についてもお話をしました。
連載を振り返ると、あらためて、道真公と道明寺地域の歴史との深い縁を感じます。エピローグでは、道真公とゆかりの深い道明寺天満宮に残されている、道真公の愛したと伝えられる、国宝に指定された伝菅公遺品(でんかんこういひん)をご紹介します。
道明寺天満宮は、もと土師氏の氏神として成立し、現在では天穂日命(あめのほひのみこと)、菅原道真公、覚寿尼(かくじゅに)をまつっています。
伝菅公遺品(でんかんこういひん)は、大宰府に赴き、その地で亡くなった道真公の遺言によって、道真公の叔母覚寿尼(かくじゅに)に届けられたと伝えられています。青白磁円硯(せいはくじえんけん)(白磁円硯(はくじえんけん))、銀装革帯(ぎんそうかくたい)、玳瑁装牙櫛※(たいまいそうげぐし)、牙笏(げしゃく)、犀角柄刀子(さいかくえのとうす)、伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)(高士(こうし)弾琴鏡)の6点が国宝に指定されています。
青白磁円硯(せいはくじえんけん)は、外面にやや青みを帯びた白色の釉薬(ゆうやく)のかかる円形の硯で、直径27センチの大型のものです。もとは20本の脚によって支えられていましたが、現在は脚は失われています。唐の時代に中国大陸で作られたものです。
銀装革帯(ぎんそうかくたい)は、2枚の革を縫い合わせたバンドです。銀メッキされた銅製の四角い飾りが15個着けられており、弓矢で狩りをする人や、鹿などが浮き彫りにされ、中央には水晶玉をはめ込んでいます。
玳瑁装牙櫛※(たいまいそうげぐし)は、前髪を飾る象牙製の歯の長い櫛※です。当時の男性は、冠をかぶることがしきたりで、長い髪を頭上で束ねるために櫛※(くし)は必需品でした。
牙笏(げしゃく)は、長さ36センチの象牙製の笏(しゃく)です。笏(しゃく)は、宮廷で貴族が手に持ち、式次第などを書き留めておくメモ用に使われたものです。雛人形の男雛(おびな)をよく見ていただくと、手に笏(しゃく)を持っているのがお分かりいただけると思います。
犀角柄刀子(さいかくえのとうす)は、柄を犀(さい)の角でつくった小刀のことです。柄の縁には銀の金具がはめられています。
伯牙弾琴鏡(はくがだんきんきょう)は、銅製の八花形(やつはながた)の鏡です。左側に竹林で琴を弾く中国古代の琴の名手伯牙(はくが)が、右側には鳳凰(ほうおう)が表現されています。
これらの品々は、道真公の遺品として、これまでの歴史の中で、さまざまな人々の手により、現在まで守り伝えられてきました。現在に受け継がれたこれらのものは歴史を語る貴重なものとして国宝に指定されていますが、同時に、それを守り伝えるために、各時代、さまざまな場面で関わった人々は、歴史の担い手として大きな役割をはたしてきたと言えるでしょう。
(文化財保護課 新開 義夫)
※白磁円硯(はくじえんけん)、玳瑁装牙櫛※(たいまいそうげぐし)、高士(こうし)弾琴鏡は、大阪市立美術館で開催中の「日本国宝展」に展示されています。(6月15日(日)まで。)
※環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。