- 発行日 :
- 自治体名 : 兵庫県朝来市
- 広報紙名 : 広報朝来 令和8年1月号
■「羽柴秀長の但馬攻め」
新年あけましておめでとうございます。2026年は陰陽五行説にもとづく十干十二支(じっかんじゅうにし)でいうところの「丙午(ひのえうま)」にあたります。午年は、情熱や変化を象徴するなどの縁起の良い年です。皆様にとって良い1年になりますようにご祈念いたします。
さて、1月から2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送が開始されます。主人公は羽柴秀吉の弟である羽柴秀長です。秀長は兄の秀吉の補佐役として活躍し、兄より先に亡くなりますが、仮に秀長が長生きしていれば豊臣家の天下は安泰だったとも言われています。このように兄の天下取りを支え続けた秀長ですが、実は朝来市と関わりの深い人物なのです。
秀長が秀吉の代行者として初めて指揮を取った戦が天正5年(1577)に始まる「但馬攻め」でした。当時の但馬は山名氏の領国で、山名氏は織田家に従っていましたが、家中の国人衆の中には中国地方を治めていた毛利家に通じる者もいました。天正4年(1576)、織田信長によって京都から追放された将軍足利義昭が鞆(とも)の浦(うら)(広島県福山市)に逃れ、毛利輝元に足利幕府再興を依頼します。これにより毛利家と織田家との対立が激化し、翌天正5年10月、信長は秀吉に中国平定を命じます。まず、秀吉は播磨を抑え、次いで山名氏の領土である但馬へ兵を向けます。この時の但馬攻めの目的は但馬内の毛利党の制圧と生野銀山の確保と考えられています。11月、秀長軍は真弓峠から但馬に侵入して山口岩洲(やまぐちいわす)城を攻め落とし、次いで竹田城を攻略、さらに養父郡まで兵を進めたと考えられます。秀長は城代として竹田城に入り、但馬支配の拠点にするため整備を命じた記録が残っています。
その後、但馬は毛利勢と織田勢の境目となり、争いが繰り広げられることになります。但馬の国人衆は、織田勢の楽々前(ささのくま)城主(豊岡市日高町道場)の山名祐豊(すけとよ)・垣屋光成(みつなり)、宵田(よいだ)城主(豊岡市日高町宵田)の垣屋孝続(たかつぐ)などと、毛利勢の轟(とどろき)城主(豊岡市竹野町轟)の垣屋豊続(とよつぐ)、八木城主(養父市八鹿町八木)の八木豊信(とよのぶ)に分かれて争いました。その頃の竹田城は、天正6年(1578)の三木合戦(現在の兵庫県三木市で三木城に籠城した別所長治との間で行われた合戦)の隙を突いて太田垣輝延(てるのぶ)が奪還し、毛利勢についていたと考えられます。
天正7年(1579)頃には、但馬における毛利勢が弱体化し、天正8年に三木城を陥落させた秀吉は、秀長に再度、但馬攻めを命じました。これにより竹田城、有子山城、八木城、轟城など毛利勢の主要な拠点が攻め落とされ、秀長は但馬を完全に平定しました。
朝来市埋蔵文化財センターではNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送に合わせ、羽柴秀長に焦点を当てた企画展を計画しておりますので、どうぞご期待ください。
※但馬攻めの頃は「豊臣」姓ではなく「羽柴」姓を名乗っていました。
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