- 発行日 :
- 自治体名 : 奈良県下北山村
- 広報紙名 : 広報下北山 2025年3月号
■退任のご挨拶
〜今後の村の将来を祈念して〜
冬の寒さも緩み、春が間近となってまいりました。いかがお過ごしでしょうか。
この度、私は2025年3月をもって診療所を離れることとなりました。2019年に初めて下北山に赴任し、2021年に一旦離れ、そしてまた2023年から再びお世話になり、この2年間も村民の皆様に温かく見守られながら充実した2年間を送ることが出来ました。本当にありがとうございました。
今回の赴任では家族の生活の拠点が奈良市周辺になっていたこともあり、週2回村と自宅を往復する半単身赴任のような生活になりました。長男は村の方々に好くしてもらっていた記憶が残っており、自分が下北山に向かうことを毎回羨ましがっておりました。2023年末に国道169号線の崩落があった際には往復に片道4時間半かかり、坐骨神経痛に悩まされながらの診療所生活になりましたが、今となってはいい思い出です。また縁あってテレビ局の取材を受けることになる等、得難い経験も多かったように思います。来年度からは奈良県立医科大学附属病院で大学院に進学し、基礎研究にも従事する予定となっています。近年、人工赤血球の開発で一躍有名になった同大学の松本教授も自治医科大学の卒業生であり、十津川村で輸血が出来ず忸怩たる思いをした経験が人工赤血球の開発につながったと申されており、自分も下北山で見て感じた経験も踏まえて医療に貢献できるよう邁進していきたいと思います。
診療所の運営は前回と比較して今回は医薬品不足に悩まされることが多くありました。国を挙げてジェネリック医薬品への切り替えを推進しており、自分も患者様の医療負担の観点からは賛成でありますが、医薬品の製造過程に問題が生じて製造が中止したり、昨今の新型コロナウイルス感染流行やウクライナ戦争による流通の混乱、薬価の安さに採算が合わず製造販売終了になる等といった事態もあり、医薬品の調達を司る看護師は日々苦心して卸業者と交渉しておりました。なるべく患者様に影響の出ないように腐心しておりましたが、医薬品が手に入らずご不便をおかけしたことも多々あるかと存じます。普段の何気ない国内・海外のニュースも我が事なのだと改めて痛感しました。
一方で、念願であった診療所の建て替えについてはついに着工し、建築が始まっております。自分の代で開院まで漕ぎ付けたかったのですが、退任後も後任医師や診療所スタッフと連絡を取りつつ、スムーズに診療所移転が進むようにこれからも関わりを続けたいと思います。この診療所の設計には、村の将来や患者様への思いをたくさん込めました。村の人口は減少し、高齢化率は高止まりしたまま、診療所の患者数は2030年頃まではほぼ横ばいで推移すると予想されます。以後は当院の患者数も減少し始め、2040年には人口も400人台となる推計です。周囲の村も人口減少が顕著となり、診療所の存続、統合などの議論も活発化するでしょう。一方で医療のIT化、遠隔化、電子化など最新の技術に適応するような社会的要請は進み、それに対応できないクリニック・診療所は淘汰される可能性があります。
重ねて、下北山村の診療所が今後も存続するには、やはり在宅医療・在宅介護が村で維持できるかが喫緊の課題です。国も在宅医療を推進しており、もっと訪問診療を推し進めて行きたかったのですが、診療所がいくら在宅医療を提供しようとしても、その土台となる在宅介護の環境、人員がいないと訪問診療を始めることすら叶わないのです。願わくば、訪問介護を担うヘルパーが増え、村内在住のケアマネも維持し、足腰が悪くなって通院が出来なくなっても、村で生活が維持できるようになっていってほしい。村で最期まで穏やかに過ごせる環境になっていってほしい。現状をなかなか打開できなかったことが悔しいです。
この目まぐるしく環境の変わる昨今においても、新しい診療所を中心に、下北山村がますます発展し、未来に向かって進んでいくことを僕はいつまでも祈念しています。村民の皆様がいつまでも笑顔で、一日でも長く村で生活できるような医療を提供し続けられる診療所であるよう願っております。
下北山村診療所 田口 浩之