文化 高野山一山の総本堂「金堂」

日本仏教の聖地「金剛峯寺」のお坊さんのおはなし

高野山の総本堂である「金堂(こんどう)」は、弘法大師空海によって弘仁10年(819)に創建されました。当初は「講堂」とよばれ、その後「御願堂」、さらに『白河法皇高野御幸記』には「薬師堂」と記されるなど、時代とともに名称を変えながら、中心の御堂としてさまざまな法会が執り行われてきました。
度重なる火災により焼失を繰り返し、現在の金堂は昭和7年(1932)に再建された7代目の建物です。再建にあたっては、主体部を耐火構造の鉄骨鉄筋コンクリートとし、外観を伝統的な木造で覆うという、当時としては画期的な工法が採用されました。設計は「関西建築界の父」武田五一博士、木造部は建築史家の天沼俊一博士が担当されました。建物の大きさは、梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートルの堂々たる規模を誇ります。
ご本尊は、昭和元年(1926)の火災により旧本尊が焼失しましたが、近代彫刻の先駆者・高村光雲仏師によって阿閦如来(薬師如来、秘仏)が造立されました。脇侍仏は、焼失前の写真をもとに忠実に再現されました。内陣には、ご本尊を守護する六尊が整然と並びます。右側に普賢延命菩薩・不動明王・金剛薩埵、左側に虚空蔵菩薩・降三世明王・金剛王菩薩。そして、その左右には両界曼荼羅といって右に胎蔵界曼荼羅、左に金剛界曼荼羅が掛けられています。以前、金堂へ奉納されていた平清盛が絵具に自らの血を混ぜて奉納したと伝わる曼荼羅は、重要文化財として霊宝館に保管されております。
外陣の壁画は、日本美術院の重鎮・木村武山画伯による筆。岡倉天心の理念を受け継いだその画風で、「釈迦成道驚覚開示(しゃかじょうどうきょうがくかいじ)の図」や「八供養菩薩像」が堂内を色彩豊かに描写されています。
どっしりとした立派な姿をした金堂であり、その再建に込められた多くの匠の技と深い祈り、そして堂内に集められた建築・仏像・曼荼羅・壁画のすべてが、高野山の精神を今に伝える「結晶」といえる存在です。
ぜひ機会がございましたら、堂内をごゆっくりとご覧になり、金堂に宿る歴史と深い魅力に触れてみてください。新たな気づきと感動に出会えることでしょう。

問合せ:高野山真言宗 総本山 金剛峯寺
【電話】0736-56-2012