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■家族思いの箕作佳吉(みつくりかきち)
箕作佳吉は安政4年(1857)12月に、箕作秋坪(しゅうへい)の三男として誕生しました。エール大学(米国)で動物学を学び、現在の東京大学理学部で日本初の動物学教授を務めます。主に海洋生物の研究に励み「ミツクリザメ」や「ミツクリエビ」など、彼の業績を称えて名付けられた生物も多くいます。
令和6年、佳吉のひ孫に当たる人から119点の資料が寄贈され、そのうち5点を、現在、津山洋学資料館のスポット展示で紹介しています。
その中には、明治30年(1897)9月末から翌年10月にかけて、佳吉が国際会議や学会への参加と博物館や動物園などの視察のため、アメリカやヨーロッパ諸国を訪れた際に、滞在先から妻の安子(やすこ)に宛てた手紙が含まれています。手紙は、確認できるだけで39点あり、間を置かずたびたび手紙を書き、移動の船中で手紙が出せないときは、その間の日記を後でまとめて送るなど「筆まめ」な佳吉の姿を知ることができる貴重な資料です。
手紙の内容からは夫として、また父として家族思いな佳吉の姿を垣間見ることができます。安子には「恋しき吾妻(わがつま)安子へ」や「Love」といった直接的な愛情表現も見られ、佳吉自身が海外留学の経験で、欧米の男女交際の文化に触れた影響が感じられます。
また、安子も佳吉に手紙を出していたようです。残念ながら内容までは読み取ることはできませんが、安子から聞いた子どもたちの様子について助言している手紙が残っています。例えば、次男良次(りょうじ)の数学の点数があまり良くなかったことを聞いた佳吉は、
「数学ハ万事ノ基ニテ何ヲ為スニモ数学ガ好(よ)ク出来ル位ニアラザレバ、上等ノ位置ヲ占ムル能(あた)ハザル故、精々勉強スル様御申し聞カセ被下度候(くだされたくそうろう)」
と数学の大切さを記しています。また、お金については厳しくしつけを行っており「ぜい沢の考を起こしてハならぬ」とたびたび子どもたちに言い聞かせるよう伝えています。
1年以上も家族と離れ離れになったこの旅で、佳吉はホームシックとなり「此16、17年(結婚以)来、此ノ如キツラキ旅行ハ始メテナリ」と辛い心情を手紙にしたためていることからも、家族への深い愛情を感じることができます。

問合せ:津山洋学資料館(西新町)
【電話】23-3324