- 発行日 :
- 自治体名 : 広島県府中町
- 広報紙名 : 広報ふちゅう 2025年7月1日(No.1137)
■第54回 府中が農村だったころ(14)〜用水(1)
井手(いで)や堰(せき)は、川を石や土手で堰(せ)き止(と)めている場所を指しますが、そこから取水した用水路を指す場合もありました。文化12(1815)年の「国郡志(こくぐんし)下しらべ帳」では用水路を「堰(せき)」と記し、府中村に11か所が記載されています。メートルに換算し、長い順に紹介すると岡田(おかだ)(1230m)、長田(ながた)(1132m)、中井手(なかいで)(1053m)、惣社井手(そうじゃいで)(919m)、寺(てら)(545m)、山越(やまごえ)(436m)、山田上(やまだかみ)(354m)、山田下(やまだしも)(327m)、御衣尾(みそお)(327m)、新宮(しんぐう)(327m)、八幡(やはた)(327m)です。多くは、埋め立てたり、暗渠(あんきょ)になっており目にすることができませんが、今も農業用水として利用され、流れも目にすることができる岡田用水(井手)を紹介しましょう。岡田用水は享保(きょうほう)9(1724)年の「差出帳(さしだしちょう)」には記載が無く、文化12年の「国郡志下しらべ帳」に出てきますので、この間に完成したと考えられます。安永(あんえい)5(1776)年に完成した青崎新開の工事に八木村(やぎむら)の桑原卯之助(くわばらうのすけ)が参加しています。太田川西岸の田畑を潤した八木用水を完成させた人物です。全体の流れを見ながら取水口から適度の勾配を付けて流していくのは相当な知識と技術が必要で、こういった人物から知識を得たのでしょう。現在府中町で米作りが行われているのは、山田地区と城ケ丘地区です。このうち、城ケ丘の水田はこの岡田用水が利用されています。取水口は水分峡下(みくまりきょうした)の榎木川(えのきがわ)(御衣尾川(みそおがわ))で、みくまり墓苑(ぼえん)下から林を抜け、尾根を通り、住宅地では一部暗渠(あんきょ)となり低地の水田へと水が運ばれます。写真は、みくまり病院前の橋から用水が流れている西側の山を望んだものです。緑の線が、岡田用水の水路です。取水した川から相当高い位置を流れていることが分かります。ここから現在住宅地となっているかつての田地へ水が運ばれたのです。
※写真は本紙をご覧下さい。
府中町文化財保護審議会委員
菅 信博