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■刀工・青龍軒盛俊(せいりゅうけんもりとし)の作刀技術

岩国市内にはかつて多くの刀工がおり、その中でも特に有名なのが青龍軒盛俊(せいりゅうけんもりとし)です。盛俊は、江戸時代末期に活躍した刀工で、彼の作った刀は高く評価されてきました。また作刀時期が幕末の動乱期と重なっており、刀需要の高まりの中で多くの刀を作ったため、現存する刀も少なくありません。そこで今回は、岩国を代表する刀工・青龍軒盛俊の技術を紹介します。
盛俊は、城下町にある鍛冶屋に生まれました。日用の金物だけでなく、槍などの武器も作ることができたため、吉川家にその実力を買われ、鍛冶修行として1年間の江戸行きが命じられました。その際に盛俊は、加藤綱俊(つなとし)(長雲斎綱俊(ちょううんさいつなとし))に入門します。
綱俊の流派は、江戸時代後期の刀工・水心子正秀(すいしんしまさひで)が始めた復古刀派(※1)と言われています。彼らが作る刀は身幅が広く、反りが浅いため丈夫で扱いやすいという特徴があり、盛俊もこうした刀を多く作るようになりました。
盛俊の作った刀について、幕府の役人が鑑定を行った記録が残っています。それには切れ味がとても良く、出来栄えは「見事」と評価されたと記録されています。
さらに師匠の綱俊から盛俊へ授けられた免許状には、四種類の刃文(はもん)の出し方を会得したことが記されています。刃文とは刀身の上部に現れる白い波のような文様のことで、刀を作る過程で行う焼き入れ時の微妙な温度差などにより変化します。そのため刃文の出し方を自在に操るには高い技量を必要としました。
こうした事からも盛俊が高い技術を持っていたことが分かります。その後、盛俊の技術は、門弟たちに引き継がれていきます。後に「盛俊」の名前を継いだ孫弟子の蒼龍軒(そうりゅうけん)盛俊は、盛俊の作風を忠実に守り、全国の刀工の序列を決める新作日本刀展覧会で「第一席」を受賞するなど高い評価を受けました。
盛俊をはじめとした岩国の刀工の高い技術により、作り出された数々の刀を鑑賞してみてはいかがでしょうか。

※1 鎌倉時代から室町時代前期にかけて作られた太刀を模範とし、作風の回帰を目指した流派

※5月11日(日)まで企画展「青龍軒盛俊~岩国の刀工展~」を開催しています

▽岩国徴古館(いわくにちょうこかん)
昭和20年に旧岩国藩主吉川家によって建てられ、その後岩国市に移管された市立の博物館
住所:横山二丁目7-19
【電話】41-0452
休館日:月曜(祝日の場合はその翌日)