文化 佐田岬民俗ノート 247

■佐々木長治の活躍
大分県豊後大野市に「沈堕(ちんだ)の滝」と呼ばれる大きな滝があります。ここにある沈堕発電所跡の銘盤に「佐々木長治(ささきちょうじ)」の文字が刻まれています。
佐々木長治[1867-1914]は湊浦で生まれ、16歳で酒造業を興し、宇和紡績や伊予製鉄、西南銀行、川之石汽船などの設立に関わり、晩年には伊方実践農業学校を設置するなど、地方の農村の振興に尽力した人物です。そんな佐々木長治の名前がなぜここに刻まれているのでしょうか。
1896(明治29)年、大分県に大分交通の前身である「豊州電気鉄道株式会社」が設立されました。初代社長は愛媛・八幡浜の実業家・菊池清治(きくちせいじ)です。1900年には別府-大分間約10kmの九州初の電気鉄道を開業しましたが、その後経営不振となり、1906年に会社解散となりました。
同年、「豊州電気鉄道株式会社」の事業一切を引き継いで「豊後電気鉄道株式会社」が設立されます。初代社長に就任したのは佐々木長治です。長治は就任以降、積極経営を展開しました。その一つが、石炭価格高騰対策としての水力発電です。1907年に「大分水電株式会社」を合併し、長治は副社長となり、大野川水系の水利権を取得した豊後電気鉄道(株)は1908(明治41)年に沈堕発電所の建設に着手、翌年に竣工。
発生電力は大分の電灯・電力供給事業に充てられたほか電気鉄道にも利用されました。文頭で紹介した銘盤はこの沈堕発電所が竣工したときに作られたものです。佐田岬半島で生まれた佐々木長治は別府市の発展に大きく寄与した豊後電気鉄道(株)の創立に大きく関与するなど、海を越えて大分県でも大きな活躍を見せました。
銘盤には「明治四十二年四月十六日竣工 豊後電氣鐡道株式會社 社長 長野善五郎 副社長 佐々木長治(後略)」と刻まれています。

参考文献:大分交通株式会社1985『大分交通40年のあゆみ』、『伊方町誌』