- 発行日 :
- 自治体名 : 愛媛県鬼北町
- 広報紙名 : 広報きほく 令和7年9月号
■第一回 「日吉村誌」の発見
それは確かに存在するが、どこにも見当たらない…。数年前に鬼北町役場の日吉支所で見かけたという証言から捜索は始まりました。
支所の棚や地下倉庫、図書館、武左衛門一揆記念館、歴史民俗資料館の金庫や収蔵庫まで幾日も捜しましたが、いっこうに見つかりません。その存在を知っている人、ましてや実物を見た人の声はわずか。耕した畑に落としたクサビを捜すような気分でした。
ありとあらゆる棚の扉を開け続けて諦めかけたころ、ついに公民館の厳重なハンドルのついた金庫でそれを見つけました。古い「日吉村誌」です。
刊行物としての日吉村誌の最新版は平成五年ですが、こちらはおそらく大正四、五年ごろに完成したと思われます。明治期の村の歴史が、井谷正命(まさみち)の直筆で、当時の日吉村役場専用の原稿用紙にぎっしりと詰まっています。
井谷正命は旧日吉村の初代村長で、南予の道づくりや町づくりに注力し、私立実業学校を設立して自ら教鞭をとり、教育を通じた人づくりに生涯を捧げました。
また、その長男の正吉(まさよし)は、大正十一年に明星ヶ丘で四国初のメーデー(労働者の祭典)を行い、農民・労働者のための社会運動を進め、戦後に衆議院議員として国民の平和と※仕合せな生活を目指して活動に勤しみました。
遺された井谷家の歴史資料を読み解いていくことで、未来を創造する過程をこのコラムで展開していきたいです。
※しあわせ
人と人とが仕え合い、喜びを見出していくという意味が込められている。個人の幸せでなく、人とのかかわりを重視した古い漢字表記で、正吉が多用していた。