文化 井谷家歴史資料を読み解く

■第二回賀川豊彦との出乗りながら道作りの草刈りをするお年寄りの姿が目に留まりました。ニコニコしながら器用に道具を駆使する様に驚きつつ「おじいさん、頑張っているな」と頭の下がる思いでした。鬼北町の日常。私が出会った会い電動車いすに心に残る一コマです。

「下座奉仕(げざほうし)」

井谷家に遺る賀川豊彦(一八八八〜一九六〇年)の色紙。謙虚な姿勢で他者に尽くすという意味です。賀川は貧民の救済、労働・平和運動などに取り組んだキリスト教社会運動家で、井谷正吉(一八九六〜一九七六年)に大きな影響を与えました。

神戸の貧民窟で出会った豊彦と正吉らは、同志を募って農民を対象とした社会主義の啓発運動を展開し、労働組合や日本農民組合の設立などに奔走しました。

正吉は、献身的に救貧に尽力する豊彦の姿に魅力を感じ、実践的な社会改革活動家として尊敬していたと自伝に書き残しています。日吉に戻った正吉は、四国初のメーデー(労働者の権利向上を掲げた祭典)を開き、理想の村「明星ヶ丘我等の村」を創設しました。

貧困や差別をはじめ社会のひずみは解消せず、世界では戦火が止みません。「一人は万人のために、万人は一人のために」(豊彦が提唱した相互扶助の精神。生協、農協などの根幹理念とされている)。誰かのために汗を流し、自らの心も磨く豊彦の思想は今なお光を放ち続けているように思います。