- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県太宰府市
- 広報紙名 : 広報だざいふ 令和8年1月1日号
令和7年11月21日開催の令和7年太宰府市議会第4回定例会において、楠田市長が市長としての2期8年に加え、親子二代50年の政治家としての歩みを振り返り、最終演説を行いました。全文を掲載します。
ただいま議長の許可をいただきましたので、私の市長任期最終の定例会の閉会にあたり、これまでの2期8年さらには政治家生活や人生も振り返りながら最後の挨拶をさせていただきたいと思います。
まずもちまして、市長選市議選を間近に控えた本定例会も、17日間に及ぶ会期を通じ慎重審議のうえ本日をもって関係案件23件を原案どおり可決賜わりましたことに対し、厚く御礼申し上げます。
投開票まで既に1か月を切りました。選挙に挑まれる方々におかれましては必ずやまたこの議場に戻られますようご祈念申し上げます。そして勇退される皆様、今まで本当にお疲れ様でございました。
釈迦に説法ではありますが、選挙の世界は勝ち負けがはっきり出る世界です。父も二回私も三回落選しました。とは言え昔と違い命までは取られません。結果に関わらずこれからもよろしくお願いします。
そして振り返りますと、私の在任中の40回を超える議会における約700の議案全てについて可決承認いただいたことになります。これまでの議員各位のご理解ご協力に対し心より御礼申し上げます。
またその一方で、少なからず私の失礼な態度や発言などがあったやも知れません。これは市民の皆さまや職員諸氏に対しても共通することです。一生懸命さからとは言えこの際に改めてお詫び申し上げます。
さて市長2期8年の歩みでありますが、国政で三度落選し一度は引退を覚悟した私を政治の世界に呼び戻していただいた太宰府市民の皆さまのお役に立ちたい少しでも恩返しがしたい一心でありました。
幼き日より父の背中に学んだ世の為人の為、次代を担う子どもたちの為にという政治家哲学人生哲学を実践することで、未曽有の混乱からの脱却を果たしだざいふの底力を引き出せるよう全力を注ぎました。
この最低限の使命は、先程触れました全議案の可決や長年の懸案だった中学校完全給食の実現、市民意識調査や各種ランキングの急伸、自立持続可能性自治体認定などで一定果たせたのではと考えております。
2期8年では短い、50歳はまだ若いので続けてほしいとの有り難いお言葉ややり残したことがあるのではとの厳しいご指摘もありましたが、私にとってはむしろ逆であり8年何とか続けられたとの思いです。
日本の総理でも8年連続で務めた人は憲政史上いまだおりませんし、アメリカの大統領も2期8年しか務められないように憲法で定められています。本気でやればこの期間が精一杯というのが本音でもあります。
私自身、予期せぬ令和ブームの際や出口の見えないコロナ禍などの激動の最中に逃げ出したいという欲望に何度も駆られましたし、この間二度あった衆院選出馬への野心が無かったと言えば嘘になります。
そして、一期目就任間もない頃の予算案修正の危機の際には、いつ辞めても悔いのないようにとの思いで人知れず辞表をしたためたこともありました。今なおぼろぼろになりましたが胸に忍ばせています。
それでもなおここまで続けて来られましたのは、まさしく政治家としての生命を拾ってもらった市民の皆さまのご期待に応えるためには2期8年は何とか務めなければならないとの思いからでありました。
そしてその総仕上げとして、自ら身を切り任期を前倒しして退任し今後も市長市議同日選を可能にすることで数千万円に及ぶ血税を節約するなど、かつての混乱を名実共にリセットすることを決断しました。
これは、自らの地位にしがみつき信頼を貶める昨今の政治家への警鐘でもあります。そうした風潮を一笑に付すネタで政治家として初めてM-1グランプリ2回戦を突破できたこととも無縁ではありません。
そして、太宰府市長としてのこの2期8年の時期があったからこそ、決して順風満帆ではなかった政治家として私個人としては23年、親子2代で50年の集大成をいま迎えることが出来たわけであります。
27歳で最初に一人で始めた駅立ちの心細さ、念願の政権交代後34歳での防衛大臣政務官着任式、父が県議に当選し安堵した8歳の朝、落選し引退を余儀なくされた父を見た21歳の夜、どのシーンもいまだに鮮明に記憶に残っています。
一方で、多くのものを失いもしました。もっと出来ることはなかったものかと今でも自らを責める毎日です。そうした思いもあり、この度の市長退任を機に政治の世界から一旦距離を置こうと考えています。
これまでお世話になった全ての方々に心より御礼を申し上げ、愛する郷土だざいふのさらなる発展と皆さまのご健勝ご多幸、そして次代を担う子どもたちの限りない飛躍を祈念し私の最後の挨拶と致します。
改めまして、今まで本当にお世話になりました。実力は足らなかったかも知れませんが、私なりにとにかく一生懸命、持ちうる力を出し切った8年間でありました。最後までご清聴ありがとうございました。
