文化 あさくら歴史散歩

市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ

三十一.秋月の乱進撃と最期
明治9年(1876)10月27日、秋月を出立した秋月党は、他所の同志と連携することを目的に萩へ向かう途中、豊津へ立ち寄ります。しかし、豊津で待ち受けていた官軍により銃撃を受け、一度に大勢の隊員を失いました。秋月党は豊津より撤退しますが、豊津兵により退路を塞がれ仲間も離散してしまいました。生き残った隊員は秋月に引き揚げることとし、江川で合流しましたが、撤退の間にも隊員は数を減らしていました。
江川で軍議を開き今後の方針を話し合ったところ、再度挙兵し、秋月の官兵を襲い秋月を奪還することになり、今村百八郎を隊長に再度出撃しました。江川に残った宮崎車之助ら幹部7人は罪を自らの責任とし、部下に寛大に接するよう遺言し自刃しました。この7人を弔うための石碑が江川に遺っています。今村らは秋月を襲撃し一時は奪還に成功しますが、最後は捕縛されます。今村の捕縛により秋月の乱は終わりましたが、その影響は後々まで残りました。
令和8年は秋月の乱から150年を数えます。

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