文化 ふるさと再発見 広川町郷土史研究会

■広川町にある巨樹・珍樹 その9
黒く熟したムクの実は、子どもたちにとっては、格好のおやつでした。それこそ、以前は川岸や神社の境内などに大木が聳(そび)えていたものです。
筆者らも子どものころには、「しもひろかわ橋」から前川原井手(まえごうらいで)の間、川の右岸に何本もあって、学校帰りに登っては競って採り合ったものです。
護岸工事が進んだり、余りに樹盛が旺盛(おうせい)なことから、強く枝打ちしたり、伐採したりなどで、ほとんど大木は姿を消してしまいました。
現在、私たちが身近に目にできる木が、扇島区地内の観音堂境内と逆瀬谷区地内の薬師堂境内に聳えています。
それぞれの法量は、
一、扇島観音堂境内
樹高 15・0メートル
幹周 2・75メートル
推定樹齢 150年
二、逆瀬谷薬師堂境内
樹高 35・0メートル
幹周 2・6メートル
推定樹齢 約100年
を測ります。
ムク(椋(むく)・樸樹(むく))は、ニレ科の高木で、長卵形をしたその葉は、表面がざらざらしており、物を磨くなどの用途があります。材は器具作りに使われます。ムクという名前は、『牧野日本植物圖鑑』によると、「物ヲ磨(みが)キ剥(む)ク、或ハ茂(も)ク、茂(しげ)リ栄(さか)ユル」といった意に因(ちな)む、とあります。
秋に黒熟(こくじゅく)した実は甘く、自然の恵みの代表格だったのですが、食生活が豊かになり、飽食(ほうしょく)の時代を迎えた今日では、この実が食べられることさえも、忘れ去られようとしているのではないでしょうか。
実は、久泉天満宮境内にも大木が聳え、直幹(ちょくかん)の美しい姿をみせていました。『広川町史』上巻には、
樹高 20・0メートル
幹周 3・6メートル
とあり、法量では町内随一の木だったと記憶します。

■広川町古墳資料館だより
九州国立博物館開館20周年記念の特別展「はにわ」が5月11日(日)まで開催されており、埴輪(はにわ)で初めて国宝になった「埴輪挂甲(けいこう)の武人」を含む5体すべてが展示されています。挂甲の武人が作った古墳時代の甲冑(かっちゅう)は腰から上を守る「単甲(たんこう)」・下半身を守る「草摺(くさずり)」と騎兵用で体を防御する「挂甲」がありました。古墳資料館キャラクター(せきじんさん・こふんまる)も同じような甲冑です。