- 発行日 :
- 自治体名 : 佐賀県唐津市
- 広報紙名 : 市報からつ 令和7年7月号(Vol.246)
◆「唐津の記念物」39
~唐津の史跡・名勝・天然記念物~土井大炊頭利延墓園(どいおおいのかみとしのぶぼえん)(市指定史跡)
土井氏は元禄(げんろく)4(1691)年にそれまで唐津藩主であった松平(まつだいら)氏と入れ替わりに志摩国(しまのくに)鳥羽(とば)より転封してきました。土井大炊頭利延は唐津土井氏の3代目となります。
利延は享保(きょうほう)81723年に土井利清(どいとしきよ)の長男として生まれ、唐津土井家2代目利実(としみつ)の養子として迎えられました。元文(げんぶん)元年1736に利実の死去により3代目藩主として家督を継ぎました。この時利延は14歳であり、まだ年少であったため家老の土井蔵之丞(どいくらのじょう)が政務を代行しました。延享(えんきょう)41744年に家老土井蔵之丞が急死したあと、利延も病気のため同年22歳で死去しました。
利延の墓は市内神田(こうだ)にあり、平野に延びだす丘陵(きゅうりょう)上に立地します。墓碑(ぼひ)は4代目利里(としさと)が建立しています。墓石は和多田先石(さきいし)から切り出し、約2年がかりで完成しています。墓碑の高さは4.5m、面幅1.2mを計ります。碑には笠石(かさいし)はなく、二段の基台からなり墓碑前方両側に3基ずつ計6基の燈篭(とうろう)が配置されます。墓碑の正面には「故唐津城主土井源公之墓」とあります。これは土井氏の本姓が源氏であるためと思われます。右側面には「諦了院殿前大倉令真誉寂照湛然居士」の法号(ほうごう)が刻まれ、ほかの2面にわたって土井家の儒臣(じゅしん)の追悼文が刻まれています。
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