しごと 【特集】漁師になりました!(2)

■先輩研修生にお話を聞きました!
▽子どもの頃、思いもしなかった漁師の道へ
上県町出身の惣島太樹さんは、漁業研修生として、父とともに海へ出ています。中学卒業後、島外の高校・大学に進学し就職。海と全く関わってこなかった惣島さんが描く、対馬の漁業の未来とは?

惣島太樹さん(32)
島外での会社員生活を経てUターン。漁業研修生として、父とともに船に乗り、サバの一本釣りやイカ、ブリ漁などを行う。現在研修2年目。

Q.なぜ漁師に?
子どもの頃から、漁師になるという思いは全くなかったんです。高校は工業高校に進学し、大学でも電気関係の勉強をして、福岡で営業の仕事をしていました。
福岡で暮らしている時、飲食店などでおいしい魚が出てくると、大体が対馬で獲れている魚だったんです。
そこで漠然と、対馬の水産物をもっと広めたいなと思い始めました。しかし、父が漁師とはいえ、海に対して、私自身は全く興味が無かったので、知識も経験もありません。まずは漁師の実情を知らなくては始まらないということで、漁業研修生制度を活用し、父の船に乗って海に出ることにしました。

Q.漁師になってどうですか?
最初は、船酔いが酷くて。立っていられないし、何もかも吐いてしまって…おかげで13kgくらい痩せました。最初の半年は、ただただ辛くて、なんで帰ってきたのだろうと後悔したこともあります。でも、少しずつ慣れてきて、父の凄さがわかったと同時に、こんなに苦労して獲ってきた魚なのに、安価に取引されていることに驚きました。
沖にさえ出ればお金が稼げるというイメージは覆り、自分が研修を終えても、現状のままでは漁師だけで生きていけないという現実が見えてきました。

Q.今後の目標は?
漁師のスキルは、父に遠く及びません。このまま研修を終えて独り立ちしても、漁師だけで生きていくことは厳しいと考えています。そこで、会社員時代に培った営業や会社運営のスキルを合わせて、この状況をビジネスチャンスに変えていきたいと思っています。島内での一次加工など、獲った魚の価値を上げることで、少ない水揚げでも収益を上げられることができると考えています。
漁師をする中で、父やほかの漁師も、現状を何とかしたいという思いがあることを知ることができました。私が加わったことで、その思いをカタチにできるように頑張っていきます。

▽海のない県から漁師を目指して対馬へ
世界遺産、白川郷のある飛騨高山出身の釡屋壮馬さんは、愛知県の水産高校卒業後、漁師になるため対馬へ。家族や周囲の応援を受け、対馬の海で活躍しています。

釡屋壮馬さん(21)
愛知県立三谷水産高等学校、同校専攻科を卒業後、漁師の夢を追いかけて対馬へ。現在、イカやヨコワ漁などを行う船で研修中、現在1年目。

Q.なぜ漁師に?
子どもの頃から、釣りが好きで、テレビでマグロやカツオを釣る漁師の姿を見て、漁師に憧れました。岐阜は海がない県で、水産高校が無かったので愛知の学校へ行くことにしました。専攻科では海技士になるための勉強と実習をしましたが、漁師になる思いは変わらず、漁師になる道を探していたところ、佐世保出身の先生から長崎県が研修制度が手厚いこと、その中でも、対馬をすすめられました。漁師をやるなら、独立してやりたいと思っていたため、対馬に行くことを決意しました。

Q.漁師になってどうですか?
指導してくださる船長と共に船に乗って、イカ釣りを中心にヨコワを釣ったりしていますが、高校が太平洋側だったので、イカ漁を観たことがなく、その様子に驚きました。大量に釣り上げられるイカと、それを箱に入れていく船長の動きに圧倒されたのを憶えています。イカの沖立て(箱に詰める)など、まだまだ船長に、時間も質も及ばないので、早く慣れていきたいと思っています。また、船長の、海や鳥の様子などを観察しながら魚を探す「勘」にはいつも驚かされます。そういったことも、自分のものにできればと、精進に励んでいます。

Q.対馬での暮らしと今後の目標は?
知り合いが誰もいない中で生活を始めましたが、周りの人がとてもやさしく、差し入れをくれたり「頑張って!」と応援してくれるのがとてもありがたいです。海に出ると、星や朝日の美しさを独り占めできるのも、対馬に来てよかったと思うところです。
漁業は大変な仕事ですが、魚が釣れた時の達成感に魅力を感じています。まだまだ、技術的に未熟ですが、船長のように一人でやれるようになって、自分の船で海に出る日を目標にしています。また、今は魚を獲ることを考えることで精いっぱいですが、これからは、ただ獲っていくだけでなく、販路を考えたり、消費者の目線で漁業を行ったりすることを大切にしたいと思っています。