文化 わがまち再発見『文化財のみかた』第19回

■城下町府中(現在の厳原)の文化財(2)
近世の大名庭園編
今回は、宗氏の居城・金石城内の庭園についてご紹介します。厳原町今屋敷一帯は国指定である中近世の3史跡・1名勝が集中しており、その密度の高さは全国でも稀有な事例です。中核をなす史跡「金石城跡」は、防御を意識した構造であることと、巨石を随所に組み込む「鏡積み」技法を用いた石垣から、日朝交流を担っていた宗氏の格式と矜持(きょうじ)がよく表れた城だといえます。「心字池」とも称され、朝鮮通信使をはじめとした来賓をもてなした名勝「旧金石城庭園」は、城内の東端に位置しています。
作庭年代には諸説ありますが、倭館窯の陶工頭として活躍した中庭茂三(もさん)により元禄3~6(1690~1693)年頃造営とする説が有力です。中心部に心字池があり、景石(けいせき)や玉砂利、対馬産の石英斑岩(白土)を用いて対馬の風景を巧みに表現しています。特に、玉砂利敷きで洲浜状(すはまじょう)の汀線(ていせん)を造るのは、奈良時代から平安時代にかけて流行した技法であり、近世庭園では希少な例といえます。
その後、庭園は文化8(1811)年の朝鮮通信使来聘(らいへい)前の絵図に記録されていることで、その存在をうかがえます。しかし、絵図には「泉水跡(すいせんあと)」と記されており、既に庭園としての機能を失っていたことが分かります。
平成になってから、古文書や絵図の記録をもとに発掘調査を実施しました。地中に埋まっていた庭園は、往時の姿をほぼ留めた状態で確認され、復元整備の後、平成19年に国の名勝に指定されました。藩主や来賓たちが眺めていた庭園を、皆さんもご堪能ください。

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