- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県荒尾市
- 広報紙名 : 広報あらお 2025年7月号
■「明治日本の産業革命遺産」世界文化遺産登録10周年
2015年7月8日に「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産として登録されて、今年で10周年を迎えます。歴史的価値のあるこの貴重な遺産を守り、後世につなげていくために、これまでの10年を振り返るとともに、これからを考えます。
◇ともに歩んできた10年
大牟田市・荒尾市・宇城市に所在する三池炭鉱関連資産全体で、これまでに約350万人が各資産を訪れました。わがまちの世界遺産を身近に感じてもらうために、教育分野では資産のある地元の小学生同士が市を越えて交流したり、石炭にちなんだ給食を提供したりするなど、楽しみながら学びを深めてきました。
三市合同でイベントやPRなども行い、市内外に向けて、魅力を伝えてきました。また、地域の人たちとともに保全活動などを行うことで、地域のランドマークとなり世界遺産を生かしたまちづくりも進みました。
まちの宝、そして世界の宝となった世界遺産。これからもともに歩み続け、その姿を未来に届けましょう。
■三池炭鉱 関連資産
「明治日本の産業革命遺産」は日本独自のものづくりの文化や、世界的にもまれな日本の飛躍的な発展の過程などを伝える貴重な遺産です。中でも大牟田市・荒尾市・宇城市にまたがる三池エリアは、高品位で豊富な埋蔵量の石炭により明治から昭和の日本を支えた資産で、その歴史を現代に伝え続けています。
三池炭鉱は、高島炭坑(長崎市)に続いて日本で二番目に近代化された炭鉱で、1873年に官営炭鉱として操業開始。1889年に明治政府から払い下げを受けた三井は、英国製の最先端の鉱山機械を導入して、国内最大規模、最大出炭量を誇るまでの炭鉱へと発展させました。日本の近代化を支え、採炭・輸送・積出しといった一連の施設が良好な状態で残っていることが評価され、世界文化遺産として登録されました。
◇宮原坑
1トンの石炭を掘るのに約10トンの地下水が出たといわれる三池炭鉱で、坑内排水と掘った石炭を地上に引き上げる揚炭(ようたん)を兼ねた坑口(こうぐち)を開発するため、技師・團琢磨(だんたくま)がデビーポンプを導入し開発した宮原坑。明治後期から昭和の初めにかけて、三池炭鉱の主力坑として当時の石炭需要を支え、年間平均約40~50万トンの採炭量を誇りました。
◇万田坑
宮原坑に次いで整備された坑口で、三井の技術陣が総力を挙げて設計に取り組み、開坑しました。1902年操業の第一竪坑と、1909年操業の第二竪坑からなり、当時は国内最大規模の竪坑として威容を誇りました。1951年に採炭を中止しましたが、1997年の三池炭鉱閉山まで排水や坑内管理を担いました。
◇三池炭鉱 専用鉄道敷跡
三池炭鉱の各坑口で採掘された石炭や資材を運搬するために整備された鉄道で、最盛期には延べ150kmにもおよびました。1905年には宮原坑・万田坑を経由して三池港(当時は建設中)まで開通し、これによって採炭から積出までの炭鉱システムが確立されました。
◇三角西港
オランダ人水理工師ムルドルによる西洋の技術を取り入れた設計のもと、天草の石工たちの手で日本の土木技術を用いて、1887年に竣工しました。明治政府が手掛けた三大築港の一つで、三池港が完成するまで三池炭鉱の石炭はここから海外へ輸出されました。
◇三池港 稼働資産
三池炭鉱の石炭産出量の増加に伴って整備された積出港。干満の差が5.5mと大きく遠浅である有明海の難問を、日本人技術者らは、砂や泥が港の中に入るのを防ぐ長い防砂堤と、水位を調整する閘門(こうもん)を設け克服しました。これにより、大型船の出入港が可能となり、100年以上経った今も現役で国際物流港として機能しています。