- 発行日 :
- 自治体名 : 鹿児島県指宿市
- 広報紙名 : 広報いぶすき 2025年6月号
歴史の時代区分では、明治維新からアジア太平洋戦争終結までの時代を近代といいます。近代には今日の私たちの暮らしが直接形作られました。今では当たり前のことが近代に定着したのです。
■近代の指宿の発展
明治7年(1874) 指宿では郵便制度の普及に伴い、宮ヶ浜に郵便局が設置
明治8年(1875) 山川などに警察署分署が設置
明治19年(1886) 小学校令が発布され、6歳から小学校に通うことが義務づけられる
大正10年(1921) 指宿に電話が開通
昭和5年(1930) 鹿児島銀行の代理店が設置
昭和9年(1934) 日本国有鉄道が指宿駅まで開通 など
今回は、魚見小学校に残っていた『学校沿革誌』に記録された指宿市の近代について紹介します。
指宿市では、明治時代のうちに現在のほとんどすべての小学校が開設されました。魚見小学校の前身である魚見尋常小学校は、明治31年(1898)9月1日に開校しました。学校設立の目的は、それまであった田良尋常小学校と尾掛尋常小学校では児童が30人ほどに過ぎず、設備や経費が十分でなく、教育上も不利であったことを解消することでした。そのために、指宿尋常小学校(現在の指宿小学校)に通学していた吹越の児童を加え、児童数134人の魚見尋常小学校を誕生させたのです。開校の翌年には、赤痢の流行が記録されています。魚見尋常小学校では5人が罹患(りかん)、3人が亡くなっています。
明治45年(1912)1月19日には、小学校の後方の丘から吹越にかけて、鹿児島市伊敷に駐屯していた歩兵第四十五連隊の将校以下約720人が演習を行いました。この記録は、連隊の周年誌にも掲載されていない貴重な記録です。
大正2年(1913)には家庭で年上の人を「さん」付けで呼ぶよう学校で指導が始まりました。指宿で父母を「お父さん」「お母さん」と呼び始めたのはこの年であるとわかります。
昭和に入ると、鉄道が指宿に敷設されます。昭和9年(1934)12月19日に「指宿鉄道開通式」が現在の指宿高等学校の場所にあった指宿高等女学校で行われました。それまでは船や馬車が主要な移動手段でしたが、鉄道の開通で指宿が大きく変わっていきました。
昭和10年(1935)には魚見尋常小学校に初めて電話が開通し、電話番号は「指宿局49番」でした。
学校沿革誌に戦争の影が差し始めたのも昭和時代です。昭和12年(1937)に日中戦争が始まりますが、魚見尋常小学校では防空演習が始まり、皇軍武運長久祈願祭が行われ、4年生以上が竹山神社で、3年生以下が揖宿神社で祈願を行いました。
昭和13年(1938)には、軍需ズボン下縫製命令が下りました。
昭和17年(1942)6月15日に「田良児童七十四名丹波校に転校」とあります。理由は「田良の〇〇関係移住に就き」と伏字で記されています。昭和17年(1942)5月から、田良で指宿海軍航空基地の建設が始まりました。これに伴い、田良集落の住民は強制的に移住させられたのです。
昭和19年(1944)には勤労報国隊が結成され、土地改良や荒田の開墾に児童が動員されました。
そして、昭和20年(1945)には空襲が頻繁になっていき終戦を迎えたのでした。
このように、小学校の沿革誌からほとんどの人が知らない指宿の隠れた歴史が分かりました。この記事を読んでいる皆さんの家にも貴重な資料が眠っているかもしれません。見つけた時はすぐに処分せず、市史編さん室に問い合わせてください。
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